「あかいも」とは「紅丸」のことだった?
最近気づいたことがありました。 「Tiatiaの子」では、国後島の生活に欠かせない食料としてジャガイモを挙げて...
最近気づいたことがありました。 「Tiatiaの子」では、国後島の生活に欠かせない食料としてジャガイモを挙げて...
Tiatiaの子の全ての物語と、それについたzinbeiさんによるイラスト、さらには国後、岩手での写真などもふ...
昨年10月25日。父・眞下清が入院した翌日、私は始発の東北新幹線に乗って岩手に向かいました。 8月のお盆に...
「Tiatiaの子」の主人公・真木潔のモデルであり、筆者の父の眞下清(まっか・きよし)が11月24日午前8時4...
いつもTiatiaの子をお読みいただきありがとうございます。 8月に国後島を訪問した際に撮影した写真を使ってカ...
1968年(昭和43年)2月、盛岡に住む良雄のもとに一通の手紙が届いた。 釧路の坂本源蔵からだった。 「...
潔は結婚後、戸田の家を出て、宇堂口の繁子の実家で暮らし始めた。 1年後の1959年(昭和34年)10月、長...
1958年(昭和33年)8月。 23歳を目前にした潔は、家から5キロほど離れたところにある商店の奥の座敷に...
1956年(昭和31年)8月1日、北海道から小学1年生になったばかりの大幸が戸田にやってきた。
1954年(昭和29年)。 年が明けてすぐ、戸田小学校で演説会が開かれた。
1952年(昭和27年)の暮れ、北海道の出稼ぎを終えた伸義が岩手県戸田村の家に帰ってきた。 根室の親戚に預...
1952年(昭和27年)3月、戸田青年団の定期総会が開かれた。 場所は家の裏にある戸田小学校の教室。30人...
2人を預けた後、みんなはもう一つ、大きな決断をしようとしていた。 春以降の住処のことだ。
1951年(昭和26年)が明けた。 正月気分は全くない、寒々しい元旦だった。 子どもたち10人だけになっ...
これはこの物語の舞台であり、私の生まれ故郷である岩手県九戸村戸田地区を、長野県岡谷市の佐藤製作所(山モデル)さ...
この物語の舞台である九戸村。みなさんもご存知の通り、近くには「●戸(のへ)」という名前の自治体がたくさんありま...
1948年(昭和23年)8月28日、小学校や寺、個人宅に分かれていた人たちが全員、船着場に集められた。 と...
1943年(昭和18年)6月10日の午後。 克義、ハレ、潔、ハマ子の4人が、約5キロ離れた乳呑路まで歩いて...