9 年越し

 12月27日、潔ははなと買い物に出た。

 年越しの準備のため、毎年この日にはなは買い物に出かける。はなは背中に澄子を、潔は空のリュックを背負い、2人とも吉五郎の作った長靴を履いて小屋を出た。馬車が通って轍になっている雪道の固いところを選びながら西に向かって歩く。

 「危ない、走るな潔」

 はなから何度も注意されるが、潔は飛び跳ねるようにして歩いた。

 時々乳呑路から礼文磯方向に向かう馬車とすれ違いながら、2人は小一時間で老登山神社の入り口までやって来た。ここには幾つかの商店が固まっている。

 はなはまず、豆腐屋で大きくて固い豆腐を3丁と油揚げを10枚ほど買った。潔のリュックに入れる。

 それから二人は隣の三上商店に入った。身欠きニシンと塩漬けの数の子を1箱ずつ買った。吉五郎の焼酎も5合瓶で買う。潔のリュックはもうパンパンだ。最後に子どもたちのために、乾パンとひょうたんぱんを買った。神棚や仏壇に置くろうそく、線香も買った。

 「さあ、何を買ってやろうかね」

 全部買った後で、はなは潔の顔を覗き込みながら言った。

 潔はパッと笑顔になった。これを待っていたのだ。

 去年も同じように連れてきてくれて、その時はビー玉を買ってもらった。今日も買い物に連れていってくれると聞いて、嬉しくてたまらなかった。

 はなは三上商店に入ってから、潔が何をしていたか、ちゃんと見ていた。

 潔ははなが買い物をしている間、面子があるところに立っていて、何度も手にとって眺めていた。他のおもちゃのところにも行くが、すぐ戻って来ていた。特に軍隊や相撲取りの絵柄が入っているものを手にとっていた。

 はなはその中から小さい面子を4枚買ってくれた。

 面子やビー玉、ベーゴマなど、子どものおもちゃは礼文磯にもあった。本家の尚武などはたくさんポケットに入れていて、いつも自慢げに見せるが、潔には決して使わせなかった。潔は欲しい欲しいと思ってはいたが、買ってもらえるなどとは思っていなかった。

 「リュック重いけどな、頼むよ潔」

 はなは面子を渡しながら潔に言った。

 潔はこっくりとうなずく。

 潔は面子をポケットに入れ、帰りの道道、ずっと触り続けていた。リュックの重さなんて気にならない。

 小屋に着いたとき、面子は湿っぽく、少し柔らかくなっていた。

 「あまり見せびらかすんじゃないよ」

 家に入る前、はなにそう言われた潔だが、まっすぐ走って行ったのは克義のところだった。

 「ほら、ベッタ」

 「買ってもらったのか」

 「うん、この零戦カッコイイだろ」

 「ふーん」

 克義は見せろとも貸せとも遊ぼうとも言わず、1人で何かやり始めた。潔は少し拍子抜けしたが、気にせず1人で遊んでいた。

 しばらくして、克義が声をかけてきた。

 「おい潔、もっと大きいベッタ欲しくないか」

 手には直径15センチはある面子を2枚持っている。無地の裏側が見えていて、どんな図柄かは分からない。

 勝あんちゃ、ベッタ持ってたっけ。

 ちらっと思ったが、確かに手には丸い面子があった。

 黙って見ている潔に克義は言う。

 「欲しいならお前のと取り替えてやるよ。大きさが違うからオレの1枚とお前の2枚でな」

 小さな面子より大きい方がいいに決まってる。

 「うん」

 潔が面子を四枚差し出すと、克義はさっと受け取り、代わりに大きな面子を2枚手渡すと外に行ってしまった。

 手渡された面子は確かに厚紙で丸いが、表は何の絵も描かれていない、ただの濃い青だった。それでも潔は大きな面子2枚で遊んでいた。

 「潔、買ってやったベッタはどうした」

 夕方、別の面子で遊んでいる潔を見かけたはなが聞いた。

 「カツあんちゃの大きいのと交換した」

 そう言って2枚の面子を見せた。

 はなは舌打ちをした。

 「カツに騙されたな潔。そりゃ何かを丸く切ったもんだ。ベッタじゃない。せっかく買ってやったのに」

 そう言って台所に戻って行った。

 居間の隅に、裏表紙が丸く切り取られた古いノートがあった。

 知らないふりをしている克義に潔は言った。

 「カツあんちゃ、返せよ」

 「ダメだ、一度交換したらもうオレのものだ」

 「これ、ベッタじゃないじゃん」

 「オレはちゃんとお前に見せて取り替えただろ。それに厚紙で丸いからこれだってベッタだぞ。ただ、」

 克義はニヤリとした。

 「店じゃ売ってないけどな」

 潔はさらに言ったが克義は頑として聞かない。良雄や伸義はそれを笑いながら見ていた。

 翌28日から年越し準備が本格的に始まった。料理ははなとハレが引き受け、男の兄弟は小屋の大掃除。吉五郎は神棚と仏壇の掃除をし、しめ縄をなう。

 料理はまず餅作りだ。近所の主婦たちがもち米を持って眞下本家に集まってくる。臼と杵、それから本家の広い台所を借りて一緒につくるのだ。手分けをしてもち米を蒸し、つき、切り餅や丸もちにしていく。2日で4俵ほどの米がすべて餅になった。

 その傍ら、はなは家のストーブでおせち料理を次々に作っていった。昆布巻き、黒豆、栗きんとん、松前漬け、数の子、田作り、紅白なます、野菜のてんぷら。9人家族なのでどれも山盛りだ。作っては器に盛ったり鍋のままで板間に並べていく。料理は大晦日の昼過ぎまでかかりすべて出来上がった。

 夜。夕食の準備が整い、2つの座卓に8人がずらりと並んだ。澄子ははなが抱いている。料理は並んでいるが、食いしん坊の伸義も潔も箸を出したりしない。みんなじっと待っていた。

 吉五郎がみんなを見回し、おもむろに小さな紙袋を5つ取り出した。

 「そら」

 良雄、伸義、克義…と年の順に袋を渡していく。みんなニコニコしながら袋を開けていく。

 袋の中には年齢に応じてお金やお菓子が入っていた。

 潔は自分の袋を開けた。

 アルミの5銭硬貨2枚に、ひょうたんぱんと乾パンが1個ずつだ。

 初等科入学前はお菓子はもらえたがお金は入っていなかった。

 これでひょうたんぱんを20個も買えるのか。

 初めてもらったお金の表裏を見たり、かじったりした。

 ズボンやシャツのポケットに入れる。カラカラと乾いた音がする。でも気になるためすぐ出してみる。また別のポケットに入れる。入れたところを忘れて慌てて探したりする。

 「潔、お前が持ってるとなくすから、預かっとくよ」

 「うん」

 はなに渡すと心がスッと軽くなった。

 大晦日の夕飯の主役はけんちん汁だ。牛か馬の肉に豆腐、大根、人参、ネギ、里芋など野菜がたっぷり入っている。さらにおせち料理も並ぶ。吉五郎はおせち料理を肴に酒をやる。子どもたちは大鍋のけんちん汁を好きなだけお代わりし、てんぷらを頬張った。

 1943年(昭和18年)が明けた。

 朝6時すぎ。日の出までまだ一時間近くあるが、すでに周囲は明るくなっている。気温は氷点下10度近くになっている。吉五郎が居間の北側にある神棚に飯と水、酒を供え始めると、居間に寝ている男たちも床に入っていられない。

 吉五郎とはなは着物姿、子どもたちは持っている中で一番いい洋服をそれぞれ着て新年を祝う。

 用意ができるとみんなで並び柏手を打った。

 良雄・伸義・克義の3人が、家族を代表して老登山神社に初詣に行った。はなが朝食の準備をし、ハレや潔は居間を片付けて座卓を真ん中に置き、料理を並べていく。

 はなは土間に置いてある木の箱の雪の中から、凍った生シャケの皮付きの柵を取り出した。皮の端を少し剥がし、布巾でつかんで力を入れると皮がきれいに剥がれた。凍ったままの柵を包丁で薄く削るとルイベになる。

 7時前、島がある東南の方向の水平線から初日が昇り始めた。小屋の窓から光が差し込み、一気に明るくなった。

 3人が帰ってくると朝食だ。

 米のご飯にサケのルイベ、いくらのしょうゆ漬け、魚の出汁の吸い物。もちろんおせち料理も。この時ばかりは普段吉五郎が独占しているいくらをご飯にかけて食べられる。

 「オレのが一番山盛りだ」

と伸義が言えば、潔も負けまいとスプーンで盛り上げた。

 「オレは2杯食べたもの」

 潔が言えば、伸義は3杯食べたと言う。

 「こら、食べ物で競争するな」

 最後にははなや吉五郎にどやされるのだった。

 昼はジャガイモやかぼちゃ、夕食は大晦日のけんちん汁の残りだ。元日、はなは朝食のルイベは切るが、他はもう作ってあるので一切家事をしない。みんなも銘銘好きなことをする。

 2日の朝は雑煮だ。はなの故郷・石川の加賀雑煮はすまし汁に丸もちのシンプルなものだが、はなが作るのはしょうゆ味に鶏肉・野菜たっぷりに角餅の、岩手北部から青森辺りに普通にある雑煮だった。はなは石川の料理はほとんど知らない。作る料理はどれも本家に10年ほどいた時に覚えたもので、それは午之助の郷里・岩手は戸田の味だった。

 雑煮を食べると、克義・ハレ・潔の初等科3人は揃って外に出た。今日は登校日だ。

 毎年正月2日は書き初め大会と決まっていた。これで入選すると1年分の墨や半紙、条幅などがもらえるため、みんな張り切っている。

 学校に行ってまずするのは雪かきだ。正門から校舎の入り口は上級生が踏み固めて通れるようにする。校舎内に雪が積もっている場合には箒で掃き出したりする。その後で教室の机を寄せて床を広く開け、やっと書き初めが始まる。

 潔たち1年生の題は短い条幅に書く「ニッポン」だった。

 みんな床に正座をして書いていく。

 潔は1分間、じっと手本を見た。それから頭の中で何回か書いて見てから本当に書き出した。

 書の基本を潔は良雄から学んだ。吉五郎は字をそれほど知らない。はなは読み書きは不自由なくでき字も綺麗だったが、書は得意ではなかった。良雄は学校で習っただけだが上手で、何度も表彰されていた。伸義以下の兄弟たちは、良雄から教わったというよりは、良雄が小屋で練習するのを見て書の書き方を覚えた。

 潔はやや細く、スマートな字を書く。克義は手本をあまり見ることなく、もっと太くて自信に満ちた字を書いた。

 午前中いっぱいかけて書き、先生が品評する。

 帰りには克義もハレも潔も、半紙や条幅を抱えて学校を出た。

 家に帰ると吉五郎が酒に酔っぱらってストーブの側で横になっていた。2日は本家で新年会がある。分家の者や本家で働く者たちが集まり主人に挨拶するのだ。吉五郎もそこに行き、午前中というのにしこたま飲んで帰ってきたのだった。

 松の内はあとすることはない。みんな自分の好きなことをしていいのだった。

 潔は連日喜充たちとスキーをして遊んだ。

▼第1章礼文磯 10「冬の日」に続く

▼連載第1回 プロローグ「さらば茶々山」へ

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