9 涙のぼたもち

 礼文磯では、1945年(昭和20年)8月15日の終戦を、ほとんどの家がそこで迎えたが、占領前に北海道に脱出した家もあった。  例えば2軒隣の矢野家だ。  矢野家では北海道側の泊村に親戚がいたため、礼文磯の家を捨ててみん...

8 上陸

 東京の空には灰色の雲が垂れ込めていた。風はなく、海は静かだった。  1945年9月2日、朝9時。東京湾の米艦ミズーリ上で、降伏文書の調印式が行われた。  降伏文書に外相ら日本側が調印したのは9時4分。連合国側はマッカー...

7 センソウ、マケ

 1945年(昭和20年)8月15日。  国後も晴れていた。暑くはなく爽やかな天気だった。  お昼になる直前、潔は1人、夏休みの学校に向かった。  どこからか「正午から重大な放送があるから、学校に集まるように」との話を聞...

6 根室空襲

  1945年(昭和20年)春、礼文磯では一つの噂話が広まっていた。  それは、4月のある日のことだったという。  誰かが、礼文磯の東の森商店に行った。店に入ると、白ひげに白髪の、近所では見たことのない老人が何か買ってい...

5 先生の出征

 1945年(昭和20年)が明け、1月末に礼文磯国民学校の先生が一人減った。  19歳の新田三郎先生が、出征したのだ。  新田先生は、幼いころに一家で礼文磯に越してきて、本人も礼文磯国民学校の卒業生だった。根室の中学に進...

4 三角点

 1944年(昭和19年)秋。  ある日、礼文磯国民学校の全員で、隣の乳呑路国民学校に行くことになった。  北海道から陸軍の偉い人が視察に来るというのだった。  先生の言葉では、その人はサイツカンと言うのだそうだが、どん...

3 鼻血

 1944年(昭和19年)7月下旬から昆布漁が始まると、午前中は潔だけが小屋の居間に置かれ、布団に丹前を着てストーブの傍に横になっていた。熱がやっと下がり、お腹も落ち着いてきたのは8月に入ってからだった。  潔は、昼間の...

2 命

 「カッカ、腹痛い」  1944年(昭和19年)5月に入ってすぐの日の朝、飯を食べた潔ははなに訴えた。  お腹がグーグー鳴り、下の方がつねられたように痛い。  「便所行ってみろ」  便所でしゃがむと下痢が出た。  潔が教...

1 進路

 まつ赤に炭がおこつてる  総力戦の只中だ  木の塊も火になつて  お國の大事を守るのだ  櫻も楢もおこつてる  まつ赤になつておこつてる  1943年(昭和18年)から44年にかけての冬、礼文磯国民学校ではこの歌をみん...