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国後〜岩手 12人家族の物語
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カテゴリー: 第3章 抑留

第3章 抑留

11 レニングラード号

Posted on 2017年12月20日

 1948年(昭和23年)8月28日、小学校や寺、個人宅に分かれていた人たちが全員、船着場に集められた。  と...

第3章 抑留

10 最後の宴

Posted on 2017年12月10日

 1948年(昭和28年)8月20日すぎ。  日本とソ連との調整も整ったようで、月末には引き揚げの船が来ること...

第3章 抑留

9 連行

Posted on 2017年11月30日

 1948年(昭和23年)8月、引揚命令直後の騒ぎも落ち着き、乳呑路・孝徳寺での生活にも慣れてくると、子どもた...

第3章 抑留

8 強制引揚命令

Posted on 2017年11月20日

 1948年(昭和23年)7月30日。  朝、上の兄3人はいつものようにノツカの製材工場に出勤した。曇ってはい...

第3章 抑留

7 異国の人

Posted on 2017年11月4日

   1947年(昭和22年)秋から48年にかけては、真木家にとって商売繁盛の時になった。  夏、家の前の浜全...

第3章 抑留

6 特製ベスト

Posted on 2017年10月25日

 礼文磯にソ連の民間人が入ってきたのは、1947年(昭和22年)になってからだった。  礼文磯の西の外れ、墓地...

第3章 抑留

5 釣りと狩り

Posted on 2017年10月15日

 1946年(昭和21年)、舟が焼かれた礼文磯では海に出ることができなくなったため、魚は川で釣るか、磯で取るし...

第3章 抑留

4 ジャガイモ畑

Posted on 2017年10月9日

 1946年(昭和21年)5月、畑仕事が始まった。  昆布漁がなくなり、ソ連の命令で舟も焼かれた今、家族の主な...

第3章 抑留

3 舟を焼かれる

Posted on 2017年9月30日

   真木一家が住む新田家の裏は、10メートルほどの崖になっていた。冬になるとそこに雪が積もり、1月...

第3章 抑留

2 オロージャ

Posted on 2017年9月24日

 近くに住んではいなかったが、礼文磯にはその後も、ソ連の軍人が食べ物が欲しいといってやって来ることがあった。 ...

第3章 抑留

1 マス釣り

Posted on 2017年9月16日

 真木吉五郎の一家は、1945年(昭和20年)の冬を礼文磯で越すことを覚悟しなければならなくなった。  しかし...

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筆者について

眞下 聡(まっか・あきら)
眞下 聡(まっか・あきら)
 本作品の主要登場人物である「真木潔」のモデルである眞下清の二男。1964年、岩手県九戸村生まれ。東京在住。千島歯舞諸島居住者連盟会員。2003年8月、父と共に父の生まれ故郷である国後島・礼文磯に上陸。
 礼文磯を含む国後島留夜別村の情報と写真をお持ちの方は、当時の記録のため、ぜひご協力をお願いします。
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