第5章 生と死 7 姉帰る Posted on 2018年4月20日 ドンドンドン 時計はもう午前零時を回っていたのかもしれない。 1950年(昭和25年)12月19日深夜。ハレと良雄が盛岡赤十字病院の死体室で眠れぬ夜を過ごしていた時、戸田村長倉の潔たちの住む小屋の戸を誰かが叩いた。
第5章 生と死 6 はな Posted on 2018年4月10日 1950年(昭和25年)12月18日。 夜、ハレはいつものように、はなのベッド脇の床に敷いた布団で眠っていた。 何か呼ばれたような気がして、目が覚めた。
第5章 生と死 5 朝のおつとめ Posted on 2018年4月1日 1950年(昭和25年)秋。大きな病院に入院しても、はなの病状が良くなることはなかった。 医者の説明では、はなは「心臓弁膜症」だった。心臓の機能が落ちることで血液の循環が悪くなり、息切れ、むくみ、腹水などが起きる。血...
第5章 生と死 4 崖のサブロー Posted on 2018年3月20日 1950年(昭和25年)7月、はなとハレが盛岡に行ってしまったため、戸田村の長倉には19歳の克義と中学3年の潔、小学4年生のハマ子、2年生の澄子、6歳の陽子、4歳の秀子の6人が残された。
第5章 生と死 2 吉五郎 Posted on 2018年3月1日 1950年(昭和25年)が明けた。 正月早々、伸義は北海道に出稼ぎに行った。 国後・礼文磯で近所に住んでいた人が、釧路で船を持って漁師をしていた。そこから働かないかと声がかかったのだった。一旦北海道に渡ると年末まで...
第5章 生と死 1 12人 Posted on 2018年2月20日 1949年(昭和24年)も夏になったころ、ハレは、住み込みの仕事先から久しぶりに帰って来た兄たちが何やらヒソヒソ話しているのを聞いた。 「本当か、嘘じゃないか」 「いや、本当だ」 「トッチャはあんな状態だ。10人...
第4章 岩手 5 新憲法 Posted on 2018年2月7日 1949年(昭和24年)春、一家は晴間沢の金松方の作業小屋から、潔が一時世話になった長倉の文治郎宅に引っ越すことになった。 当時の東北では、春になると多くの農家で養蚕が始まる。 養蚕は場所をとる。このためどの養蚕農...
第4章 岩手 4 吐血 Posted on 2018年1月31日 「おい、吉五郎が血さ吐いで倒れたんだとよ」 1948年(昭和23年)11月末のある晩、潔は文治郎から吉五郎が吐血したと知らされた。 野外での作業を手伝っている時、突然血を吐いてそのまま倒れたのだという。一緒に作業を...
第4章 岩手 3 みんなで働く Posted on 2018年1月20日 1948年(昭和23年)9月26日。 岩手県戸田村に引き揚げてきた翌朝、目を覚ました澄子たちはびっくりした。 赤、黄、白、ピンク、藤色、紫… 外に出てみると、家の周りや隣の畑が、色とりどりの満開の花で溢れているの...