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Tiatiaの子
国後〜岩手 12人家族の物語
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タグ: 長倉

第6章 1人じゃない

6 大幸が来た

Posted on 2018年6月23日

 1956年(昭和31年)8月1日、北海道から小学1年生になったばかりの大幸が戸田にやってきた。

第6章 1人じゃない

2 みんなの家

Posted on 2018年5月10日

 2人を預けた後、みんなはもう一つ、大きな決断をしようとしていた。  春以降の住処のことだ。

第5章 生と死

7 姉帰る

Posted on 2018年4月20日

 ドンドンドン  時計はもう午前零時を回っていたのかもしれない。  1950年(昭和25年)12月19日深夜。...

第5章 生と死

6 はな

Posted on 2018年4月10日

 1950年(昭和25年)12月18日。  夜、ハレはいつものように、はなのベッド脇の床に敷いた布団で眠ってい...

第5章 生と死

5 朝のおつとめ

Posted on 2018年4月1日

 1950年(昭和25年)秋。大きな病院に入院しても、はなの病状が良くなることはなかった。  医者の説明では、...

トピックス

九戸村戸田地区のアルミ削り出しモデル

Posted on 2018年3月21日

これはこの物語の舞台であり、私の生まれ故郷である岩手県九戸村戸田地区を、長野県岡谷市の佐藤製作所(山モデル)さ...

第5章 生と死

4 崖のサブロー

Posted on 2018年3月20日

 1950年(昭和25年)7月、はなとハレが盛岡に行ってしまったため、戸田村の長倉には19歳の克義と中学3年の...

第5章 生と死

2 吉五郎

Posted on 2018年3月1日

 1950年(昭和25年)が明けた。  正月早々、伸義は北海道に出稼ぎに行った。  国後・礼文磯で近所に住んで...

第5章 生と死

1 12人

Posted on 2018年2月20日

 1949年(昭和24年)も夏になったころ、ハレは、住み込みの仕事先から久しぶりに帰って来た兄たちが何やらヒソ...

第4章 岩手

5 新憲法

Posted on 2018年2月7日

 1949年(昭和24年)春、一家は晴間沢の金松方の作業小屋から、潔が一時世話になった長倉の文治郎宅に引っ越す...

第4章 岩手

4 吐血

Posted on 2018年1月31日

 「おい、吉五郎が血さ吐いで倒れたんだとよ」  1948年(昭和23年)11月末のある晩、潔は文治郎から吉五郎...

第4章 岩手

3 みんなで働く

Posted on 2018年1月20日

 1948年(昭和23年)9月26日。  岩手県戸田村に引き揚げてきた翌朝、目を覚ました澄子たちはびっくりした...

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筆者について

眞下 聡(まっか・あきら)
眞下 聡(まっか・あきら)
 本作品の主要登場人物である「真木潔」のモデルである眞下清の二男。1964年、岩手県九戸村生まれ。東京在住。千島歯舞諸島居住者連盟会員。2003年8月、父と共に父の生まれ故郷である国後島・礼文磯に上陸。
 礼文磯を含む国後島留夜別村の情報と写真をお持ちの方は、当時の記録のため、ぜひご協力をお願いします。
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