1948年(昭和23年)8月28日、小学校や寺、個人宅に分かれていた人たちが全員、船着場に集められた。
とは言っても総勢で250人程度だ。
午後4時ごろからソ連の貨物船への乗船が始まった。曇っているが雨は降っていない。
礼文磯より東にある白糠泊班から乗船が始まった。次に乗り込む順番の礼文磯班もみんな集まり並んで待っている。
数家族ずつ艀に乗り、沖合に停まっている貨物船に向かって行った。5、6隻の艀でピストン輸送をする。
順番を待っている日本人の集団を、ロシア人たちが遠巻きに見ていた。
潔はその中に、民間人の傍に立つ白い馬を見つけた。
顔つき、仕草がシロにそっくりだった。
「シロ、シロ」
試しに呼ぶと、こっちにゆっくり歩いて来ようとする。
ロシア人が慌てて馬を止めた。
潔も手を挙げてシロを止めた。
覚えていてくれてもう十分だった。
真木家の順番がやってきた。艀には他に2家族の計3家族が乗った。
動力船に引かれて岸を離れる。
徐々に貨物船が近くなってきた。
大きな船だ。水面から甲板まで何メートルあるだろうか。下から甲板の上はとても見えない。貨物を釣り上げる大きなクレーンが甲板からニョキッと突き出ている。
「レニングラード号」
良雄が船体にロシア語で書かれた船名を読んだ。
さらに近づくと、みんなの顔がこわばってきた。
先に出た艀から船に乗る姿が見えてきたのだ。
甲板から伸びているクレーンの先に4、5メートル四方のモッコが付いている。一家族ずつそのモッコにまず荷物を投げ入れ、さらにその荷物の上に家族全員が乗った。と、クレーンはまるで材木でも積んでいるかのように乱暴に上に上がった。モッコに乗っている家族はみんな必死につかまっている。モッコは一旦甲板より2メートル以上に上げられ、そして、勢いよく甲板上に文字通り落とされた。
「きゃー」
「ひーっ」
海上から甲板上の姿は見えないが、大人や子供の悲鳴や叫び声が響いて来た。
見ていたハマ子、澄子、陽子が泣き出した。なだめているハレも泣きたいぐらい怖かった。
数家族の後、真木家の順番になった。
秀子の分を含め、持っていける11個の荷物をまずモッコに投げ入れた。そして吉五郎、はな、良雄、伸義の四人は手分けをしてハマ子、澄子、陽子、秀子を背負った。
最初に克義がモッコに乗り、続いて潔、ハレと続いた。艀が揺れているため手間取ったが、なんとか乗り込み、真ん中の荷物の上に上がった。その後はな、伸義、良雄と乗り込んできて、次々と清たちに覆いかぶさってきた。澄子や陽子は背中におぶさったまま大声で泣いているが、背負っている良雄たちは、泣き声よりもモッコの網から自分の足が出たり、だれか荷物に挟まったりしていないかだけ注意をしていた。
最後に吉五郎が乗ってきた。ハマ子をおぶっている。
「上がるぞ。ちゃんとつかまれよ」
言うか言わないかのうちに、ガーッという大きな音とともにみんなの身体が宙に上がった。
潔は一瞬、身体がふわっと浮いた、と思った。しかし次の瞬間には一気に落下、しがみついた荷物とともにドーンと甲板に落とされた。
みんな悲鳴ともつかぬ声を上げたが、すぐに周りを見回した。
「大丈夫か」
「足挟まれていないか」
「立ってみろ」
口々に言い合ったが、どうやら怪我をしたものはいないようだった。
吉五郎たちがまずモッコから降りて子どもを背中から下ろした。克義や潔は荷物をモッコから外に出した。
礼文磯班の乗り込みが全部終わったところで、船倉に降りて居場所を確保した。
レニングラード号は1万トン級の貨物船だった。船首から船尾まで、ゆうに100メートルはあった。甲板から見ると、海面は遥か下に見えた。
「どれだけ高いんだろう」
潔や喜充が見ていると、年上の高等科の生徒だった男の人が、ポケットから糸と重りを出して実際に測り始めた。
「13尋(約23メートル)だな」
それを聞いて、潔たちは改めてこの船の大きさに驚いた。
レニングラード号の内部は2層になっている。甲板の下にも中デッキとでもいうような広い空間があった。そしてその下にハッチがあった。中デッキは高さが4メートルほどもある空間だったが、それを巨大な2段ベッドのように上下2段に仕切り、引揚者を収容していた。甲板から中デッキには階段で上り下りできた。引揚者は地区ごとに場所が割り当てられ、まとまって座ったり横になったりした。中は赤っぽいうっすらとした電気がついていた。
布団など大きな荷物は、もう1つ下のハッチに入れるように言われる。しかし階段もない真っ暗な空間に落とすことになるため、みんな綱をつけて下ろした。
便所は船内になく、甲板に何カ所か臨時に設けてあった。それは海水を常時ポンプでくみ上げ、固定したホースから海に向けてドドドドと水を流すもので、それを簡単な囲いで見えないようにしているのだった。用を足したい人はそれをまたいですることになるが、すごい勢いで出る水に足を取られたりすれば、そのまま海に落ちてしまう。子どもたちは怖くて1人では行けず、大人について行ってもらった。
潔はまた甲板に上がり、続く乗り込み作業を見たり、船の設備を見て回った。
午後6時前、国後の山に太陽が沈んでいった。乗り込みは暗くなっても終わらなかった。ここで乗るのは250人ほどだが、最終的には1000人を超える人が乗り込むことになると言われていた。
潔は船内に戻った。
「おい、まんま煮て来たから食べろ」
潔がみんなの所に戻ると吉五郎が言った。
ご飯を炊いた鍋があった。もうみんな食べてゴロゴロしている。潔の分は少ししか残っていなかった。
乗り込みはまだ続いており、いつ終わるのか分からなかった。みんな横になり、いつしか眠り込んだ。
潔が目を覚ますと、船内は何も変わっていなかった。薄暗い中デッキに電気の灯りがぼおっと灯っている。船は動いていないようだった。
甲板に駆け上がると、青空が広がっていた。東の海にはもう太陽が姿を見せている。
陸の方を見て、潔は驚いた。
爺爺岳の形が変わっているのだ。
目の前にあるのは見慣れた美しい爺爺岳ではなく、山頂が2つある火山だった。高さも爺爺岳の半分ぐらいしかない。
潔はあわてて船倉に戻った。
「山、山」
「何、山がどうしたって」
良雄が聞き返した。
「山が2つになってる。爺爺岳じゃない」
「ああ」
良雄は笑いながら説明した。
「お前は眠ってたから分からないんだな。今いるのは留夜別の沖じゃない。もっと西の泊の沖だ。見えてる山は羅臼山だよ」
「えっ」
「夜に動いたんだ。気づかなかったか」
「全然」
「こっちにもまだ人がたくさんいるんだ。もうすぐ乗り込みが始まるぞ。それが終わったら、国後とは本当にさよならだ」
その言葉の通り、昨日と同じように、陸から艀にのって続々と人々が乗り込んできた。すべての乗船が終わったのは午後2時ごろだった。
汽笛を鳴らした後、船はゆっくり動き出した。
泊沖から礼文磯沖を通る。甲板にいる人は、泣いて爺爺岳に別れを告げた。
船は国後水道に入っていく。
「きっといつか、帰って来るからな」
島を見ながら、潔はつぶやいた。
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