1 別離

 1951年(昭和26年)が明けた。

 正月気分は全くない、寒々しい元旦だった。

 子どもたち10人だけになった真木家だが、生きていかねばならない。

 役場と相談して、とりあえず年末に、良雄がハレ以下未成年の弟妹の後見人になるとの届けを出していた。

 三が日が過ぎてすぐ、戸田の役場から人が来た。伸義と克義、ハレが応対する。

 「お前たち子どもだけで暮らしていくのは無理だ」

 小屋に上がるといきなり本題を切り出す。

 「で、こっちでも色々考えたんだが、下の3人を里子に出すしかないよ」

 そんなことを言うと、陽子と秀子に持ってきた上っ張りを着せ、戸田中まで連れて行き、玄関前に1人1人立たせては写真を撮った。大幸の写真は乳児院から取り寄せ、これらを里子の欲しい人に見せるのだという。

 引き揚げ者ということで特別の配給を受け、さらに生活保護ももらっているのだ。簡単にいやというのは難しい。兄弟姉妹を別れさせようとする役場の人が鬼のように見える反面、では本当に暮らしていけるのか、と問われると、兄弟だれもが答えられない。

 役場の人が帰ると、慌てて葛巻の良雄を呼んだ。上の4人で話した結果、根室に住むはなの兄・高原鉄造に相談することにした。良雄が事情を手紙にして送った。

 10日ほどして、根室から手紙が届いた。

 鉄造と、釧路に住むはなの異父弟である坂本源蔵とで、1人ずつ育ててくれるということだった。

 別れてしまうことに変わりはない。しかし、どこの誰か分からない人に貰われるよりもずっと安心できるとみんな思った。

 「今は無理だが、いつかまた一緒に暮らせるかもしれない。何せどこにいるかも分かるからな」

 良雄が言った。

 「ああ、オレが北海道に出稼ぎに行ったら、ちゃんとどうしているか見てくるよ」

 伸義も言う。

 家族は一つ、離れちゃいけない。

 ハレの中にはなの言葉が甦る。

 しかし反対はできない。明日の暮らしすら見えていない状況では、北からの好意に甘えるより他に手がないことも十分分かっていた。

 そして、役場からは3人と言われていたが、2人をお願いすることで、もう1人は一緒に暮らせるだろうと思われた。

 子どもに恵まれなかった源蔵夫妻は、大幸を正式な養子にしたいという希望だった。これについてはすぐということではなく、しばらく様子を見ようということになった。

 問題は、根室の鉄造のもとに誰を預けるかだった。

 「根室の高原のおじさんが預かってくれるって。あそこでは大事にしてくれるよ。美味しいものが食べられるし、服も買ってもらえる。どうだ行くか」

 兄たちが話を向ける。

 「いやだ、姉といる。絶対、いやだ」

 6歳の陽子は泣きべそをかきながらも、絶対にうんとは言わなかった。

 「うん、私、行く」

 4歳の秀子がきっぱり言った。

 「本当にいいのか」

 「うん」

 みんなホッとした。秀子がこのとき、意味が分かっていたのかは分からない。しかしみんなは、この秀子の言葉にすがった。すがるしかなかった。

 1月下旬。秀子と大幸を函館で引き渡すことになった。

 良雄、ハレ、秀子に、タエが付き添って、まず盛岡に向かった。乳児院に預けている大幸を引き取るためだ。

 良雄は葛巻から秀子と大幸のために新しい服と着物を買ってきた。秀子は新しい上下の服に、フードのついた赤いチェック柄のオーバーを着て長倉を出た。

 良雄は上下のスーツ、白ワイシャツにネクタイ。上に外套を羽織っている。

 ハレは黒に細かな白の線の入った生地の上下。上着は三つボタンで、下はズボン。

 国後から引き揚げる直前、良雄から買ってもらったソ連製のウール生地を自分で縫って作ったスーツだ。

 ハレにとって、取って置きの服だった。

 何かうれしいことがあった時に着たかったな、本当は。

 そう思ったが仕方ない。

 上に羽織るものを持っていなかったため、ハナヨのオーバーを借りた。

 タマは紅葉などの模様の入った和服姿だった。

 盛岡に着くと歩いて乳児院に向かう。途中、良雄がおもちゃ屋に入り秀子に大きな人形を買ってやった。

 乳児院に着くと、ハレが真っ先に大幸のもとに走った。

 毎日通っていたころが遠い昔のように思われる。たった1カ月しか経っていないのに、カッカが亡くなり、大幸は明日には函館で引き渡すのだ。

 ドアを開けると、大幸は最後の食事をしていた。

 半年間、大幸を担当していた女性が、スプーンでおかゆをあげている。

 近くに寄ろうとして立ち止まった。

 女性はしきりに自分の目元を拭っていた。1杯食べさせては拭い、また1杯食べさせては拭いしながら。

 大幸は笑顔でおかゆを食べている。

 ハレは声をかけることなく、その食事が終わるのを待った。

 「半年間、本当にありがとうございました」

 食事が終わると、丁寧に頭を下げ、女性から大幸を受け取った。良雄の買ってきた着物を着せて乳児院を出た。

 汽車の時間までは少し間があった。

 「そうだ、写真、撮ろう」

 良雄が言い、近くの写真館に入った。

 良雄とハレが後ろに立ち、ハレの前に秀子、良雄の前に大幸を抱いたタエが座った。

 ハレはオーバーを脱いだが、良雄は着たまま。秀子と大幸はフードも被ったままだ。秀子は買ってもらった人形を両手でしっかり抱きしめている。

 見ず知らずのタエに抱かれて、大幸がむずがり始めた。

 写真機を覗き込む店主が、ガラガラを取り出し右手に持った。

 「はい、こっちだよ」

 そう言いながら右手を振る。

 ガラガラガラ…

 ハッとした大幸が写真機の方を見た瞬間、フラッシュが焚かれ、シャッターが下りた。

 盛岡から汽車に乗って北に向かう。

 北福岡でタエが降りた。ここからはきょうだいだけだ。

 この日は4人で青森駅近くの旅館に泊まった。

 ハレは秀子と大幸を最後の風呂に入れた。

 3人で狭い風呂桶に入っていると、天井から水滴が落ちてきた。秀子は黙って上を見上げ、水滴が落ちて来るのを見つめていた。

 翌朝、連絡船で函館に渡り、昼頃に高原鉄造、坂本源蔵と落ち合った。

 鉄造は同じく「秀子」という名の年長の娘と、源蔵は夫婦でやって来ていた。

 源蔵夫婦は大幸の着物からねんねこまで、全部揃えて持ってきていた。鉄造も秀子に着せる分厚いオーバーを用意していた。

 「大変だったな」

 鉄造たちは良雄とハレをねぎらった。

 良雄とハレは、はなの最期の様子などを教えた。

 「2人をよろしくお願いします」

 「ああ。本当はな…」

 鉄造はそう言って説明した。

 長倉からの手紙をもらった根室の鉄造は、釧路に住む源蔵に知らせた。

 源蔵夫妻は当初2人とも引き取りたいと言ってきたのだという。

 「別れ別れにするのもかわいそうだろう」

 大幸をなでながら源蔵が言う。

 しかし、源蔵夫妻にはすでに養子が1人おり、3人を育てるのは大変だろうということになった。

 「それでオレのところと源蔵のところで1人ずつ面倒を見ることにしたんだよ」

 「すみません」

 伸義が今年も北海道に出稼ぎに行くことを良雄が伝えると、源蔵が言った。

 「大幸は私たちの子として育てたい。時が来たら私たちから伝えるから、養子だということ、お前たちが兄弟だということは、大幸には内緒にしてくれ」

 「秀子はもうお前たちのことは分かっているだろうから、うちには来てもらっていいからな」

 鉄造が言う。

 「分かりました。よろしくお願いします」

 良雄とハレは頭を下げた。

 国鉄函館駅のホームで秀子と大幸に別れを告げた。

 汽車に乗る前、ハレは大幸を抱かせてもらい、それから秀子を抱きしめた。

 泣いちゃいけないと思い、涙をこらえた。

 警笛がなり、汽車が走り出した。車内から秀子が手を振っている。

 2人は何度も頭を下げ、手を振った。汽車の煙が見えなくなるまで見送った。

 ▼第6章1人じゃない2「みんなの家」に続く

 ▼連載第1回 プロローグ「さらば茶々山」はこちら

▼岩手編第1回 第4章岩手1「真岡収容所」はこちら