1946年(昭和21年)、舟が焼かれた礼文磯では海に出ることができなくなったため、魚は川で釣るか、磯で取るしかなくなった。
秋、サケやマスを獲る季節の前に、潔たち3人組はしっかりとした竿を作ることにした。
「おいヨッコ、爺さんの家に道具が何でもあるだろ。そこで作ろうぜ」
潔は喜充に言った。
「おう、そうだ」
喜充も思い出した。
喜充の祖父の家は礼文磯の西の方にあった。岩手県の宮古の出身で、1906年(明治39年)に国後に渡った。船大工をしていて真木本家の庄司にも教えたということだった。その爺さんは1942年(昭和17年)に亡くなったが、玄能(金槌)などの道具一式はそのまま置いてあった。
3人はその仕事場に行き、仕掛けを作った。作るのはもっぱら潔で、喜充と正策は助手役だった。3人は1日かけて仕掛けのついた竿を3人分作った。
オネベツ川に行く時には、未明の3時半ごろに起きて馬に乗って行った。仲良し2人、それに本家の尚武が一緒のこともあった。
海岸沿いの村道を行き、乳呑路に入ると市街地を抜け山道を進む。
オネベツ川には、以前から上流にサケマスの孵化場があった。河口付近を網で仕切り、サケマスが遡上する前に獲って孵化場に送るのが基本で、獲ることは禁止されていた。ただ。網を越えて遡上する元気なサケマスがいて、住民たちはそのサケマスを獲ろうと、目の届かない上流に行って獲っていた。
ソ連占領後には監視が強化された。流域には何カ所か監視所が設けられ、ロシア人の監視員が見回りをしている。
見つかったらどこかに連行されてもう戻ってこられない。
子どもたちの中ではそうささやかれていた。
そのため、オネベツ川に釣りに行くのは早朝、それも監視員がほとんど来ない河口から数キロ以上上流に決まっていた。
山道を奥の方に行くと、時々ソ連軍が演習をしているところに出くわすことがある。そんな時はシュッシュッと空気を切る音がして、次に銃弾が木に刺さる音がする。
その音が聞こえると、馬はもうピタッと動かなくなった。
近くにクマがいても、やはり馬は敏感に察知してくれる。鼻を鳴らしてフーフーいうのだ。そうすると、潔たちは石をなげてクマを追い払った。
潔はサケやマス釣りにかけては、4人の中では圧倒的にうまかった。
同じ場所で釣っても、他の人が数匹取るうちに潔は10匹近く獲るのもザラだった。
負けず嫌いの尚武とはいつも釣果の自慢をし合いながら帰ってくる。釣りがあまり得意ではない喜充には、何本かあげることもあった。
オネベツ川のような大きな川だけではない。
潔は時間があるのをいいことに、近くの川も上流まで隅から隅まで見て歩いた。
ある日、矢野家の隣を流れる幅1メートル足らずの川を、よく見ながら上流に歩いて行った。
すると海から100メートルぐらいの流れに、木の根が横になっているところがあった。水深は30センチあるかないか。
そしてそこに、何かキラキラと光る物が見えた。
「何だろう」
一旦家に帰り、魚を引っ掛ける道具と水中を覗くガラスを持って戻って来た。
見ると、マスが根の下の川底にぴったりくっついていた。そのマスを苦もなく獲って、さらに上流に行くと、今度は小さな橋の下でも3匹獲った。
こんなことを繰り返し、潔は近所の川で魚獲りに関して知らない場所はないぐらいになった。
また、海に舟で出られなくなったこともあって、前の浜を数百メートル、毎日見て歩くのが潔の習慣になった。2メートルぐらいの棒を持って歩く。何か見つけるとそれで突いてみて、食べられそうなものなら持って帰る。
よく見つけるのがタコの足だ。海で頭だけ食われてしまい、足だけが浜に流れ着く。腐っていなければ全部食べることができ、夕食の煮物の具の一つになった。
老いて体力のなくなった鳥を追いかけ、棒で叩いて殺して持って帰ることもあるが、食べるところがほとんどない。
「何だ、こんなの。もっと食えるのを獲ってこい」
吉五郎に言われて悔しい思いをすることもあった。
12月下旬のある日、潔はいつものように浜を歩いていた。海には流氷が少しずつやってきていたが、まだ氷に閉ざされていないうちは何か流れ着くことがあるのだった。
雪の積もった浜と海辺の境目を歩いていると、向こうで何か黒いものが歩いているのが見えた。
近寄ってみると子どものトッカリ(アザラシ)だ。
全身黒い毛でツヤツヤしている。体長は1メートルあるかないかだが、腹回りは結構ある。生後数カ月というところだろう。
トッカリが浜に来ることは普通はないが、子どもで方向を間違えたのか、流氷に乗ってきてしまったのか、ヨタヨタと歩いている。
トッカリの肉は脂っこいが、食べられる。
潔は棒を振り上げて近づいた。
雪を踏む音で潔に気づくと、トッカリは子どもながらも口を大きく開け、牙をむき出しにして威嚇した。
「コイツ、俺に逆らうのか」
潔は持っていた棒を、振り下ろした。
棒はトッカリの頭に当たった。コーンという音がした後、口からバーッと血を吐いて倒れ、そのまま息絶えた。
終戦までトッカリは保護対象の動物で、潔が獲ったのはこれが初めてだった。
「これなら褒められるぞ」
潔は獲物を家に運ぼうとしたが、意外に重くて動かない。
ポケットに入れていた紐で縛って引っ張り、雪の上を引きずって動かした。
雪の上に血の線ができる。匂いに気づいたカラスが何羽か近づいてきた。
追い払いながら、何とか家までたどり着いた。
「トッチャ、トッカリ、トッカリ」
玄関で叫ぶと吉五郎が出てきた。
「おお、よくやったな」
見るなりそう言って家の中に戻り、包丁を持ってきて家の外で捌いた。
「大人のトッカリはほとんどが油だが、さすがに子どもは肉が多くていいな」
トッカリの赤身肉はクジラのように黒い。吉五郎は丁寧に赤身と白身を切り分けた。
赤身は皿に取り、後で料理に回す。白身は火にかけたお湯の中に入れる。良質の油が浮かんでくるので丁寧にすくって一升瓶に入れる。全部で7、8本の油が取れた。
「これは天ぷら油にするんだ」
吉五郎が言った。
赤身は夜、味噌で野菜と煮込まれて食卓にならんだ。
「今日の主役は潔だな」
みんなに褒められ、潔はすぐに食べ始めようとした。
それをはなが止めた。
「食べ過ぎちゃだめだよ。トッカリの肉は油が多くてすぐ腹をこわすからね」
その夜はみんな1杯だけ食べた。潔と伸義も競争しなかった。
トッカリの皮は防水性に優れている。吉五郎が藁を編んで作る長靴の底になったりした。
年が明けて1947年(昭和22年)の冬のことだ。
「馬だ」
「馬がいたぞ」
早朝、礼文磯でそんな声がした。
その声を聞いた男たちは服を着てみんな駆け出した。
家々が並ぶ丘の一つ上の段丘に、何頭かの馬の群れが現れたのだ。
馬は元々はどこかで飼われていたものだが、北海道に逃げるために放され、そのまま野生化したものが結構いた。それらは群れになって野山で暮らしていた。
冬の馬は、本来もっと山の奥の森で笹などを食べたりしているが、何かの拍子に人里に近いところまで降りてくることがあった。
男たちは藁の長靴にカンジキをはき、上の段丘に上がる。西側と東側から少しずつ範囲を狭めていって馬を追い込む。
動きの鈍い一頭に狙いを定める。10人以上でその一頭を群れから離れるようにする。
西、東、そして北側から追い詰めていく。海に向いた南側は10メートル以上の崖だ。
最後に男たちは馬をけしかけて崖から下に落とした。
崖下では別の男たちが待っている。手にはハンマーやマサカリを持っている。
落ちた馬は逆さまに雪にはまり動けない。その頭に振り下ろす。
動かなくなると、すぐ皮を剥ぎ、肉を分けた。
1頭を倒せば5軒や6軒の人がたらふく食べることができるのだった。
こんなことは滅多にないが、冬の間の貴重な食料になった。
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