7 姉帰る

 ドンドンドン  時計はもう午前零時を回っていたのかもしれない。  1950年(昭和25年)12月19日深夜。ハレと良雄が盛岡赤十字病院の死体室で眠れぬ夜を過ごしていた時、戸田村長倉の潔たちの住む小屋の戸を誰かが叩いた。

6 はな

 1950年(昭和25年)12月18日。  夜、ハレはいつものように、はなのベッド脇の床に敷いた布団で眠っていた。  何か呼ばれたような気がして、目が覚めた。

5 朝のおつとめ

 1950年(昭和25年)秋。大きな病院に入院しても、はなの病状が良くなることはなかった。  医者の説明では、はなは「心臓弁膜症」だった。心臓の機能が落ちることで血液の循環が悪くなり、息切れ、むくみ、腹水などが起きる。血...

4 崖のサブロー

 1950年(昭和25年)7月、はなとハレが盛岡に行ってしまったため、戸田村の長倉には19歳の克義と中学3年の潔、小学4年生のハマ子、2年生の澄子、6歳の陽子、4歳の秀子の6人が残された。

3 盛岡へ

 1950年(昭和25年)6月。吉五郎の死がよほど堪えたのだろう、はなは寝込んで起きられなくなった。  医者に往診してもらうと、身体がむくんでお腹に水が溜まっているようだという。村役場に相談し、すぐ戸田の診療所に入院する...

2 吉五郎

 1950年(昭和25年)が明けた。  正月早々、伸義は北海道に出稼ぎに行った。  国後・礼文磯で近所に住んでいた人が、釧路で船を持って漁師をしていた。そこから働かないかと声がかかったのだった。一旦北海道に渡ると年末まで...

1 12人

 1949年(昭和24年)も夏になったころ、ハレは、住み込みの仕事先から久しぶりに帰って来た兄たちが何やらヒソヒソ話しているのを聞いた。  「本当か、嘘じゃないか」  「いや、本当だ」  「トッチャはあんな状態だ。10人...