2 吉五郎

 1950年(昭和25年)が明けた。

 正月早々、伸義は北海道に出稼ぎに行った。

 国後・礼文磯で近所に住んでいた人が、釧路で船を持って漁師をしていた。そこから働かないかと声がかかったのだった。一旦北海道に渡ると年末までは帰ることができない。

 「もうトッチャはだめだろう。何かあってもオレは帰れないからな」

 伸義はハレにそう言って長倉を出た。

 克義は隣村の醤油工場、ハレは農家に手伝いに通った。

 4月、潔は戸田中3年に進級した。野球部ではセンターでレギュラー、生徒会では学校外での取り組みを担う校外委員長になった。

 吉五郎は身体の衰弱が一層進んだ。

 「腹がバンバンに固くなって」

 4月ごろ、往診に来る医者にはなは嘆いていた。医者はそれを診てももう何もしなかった。

 それでも吉五郎は、布団で寝ていて大幸を腹の上に乗せ、腕で抱き上げてはトントン、トントンとあやしたりしていた。

 一方はな自身も産後の体調が思わしくなかった。

 「身体が疲れる、疲れる」

 そうハレに言うことが多くなった。ハレが見ていても、すぐ息切れすると感じた。

 はなは母乳が出なくなった。秀子まではみな母乳で育てたが、大幸が生まれた後はどうしても出ず粉ミルクにした。まだ高価だったが、仕方なかった。

 6月1日。

 朝、ハレはいつものようにみんなの布団を畳んでいた。

 「ハレ」

 吉五郎の布団の方から声がする。

 ああ、また何か小言を言われるのか。

 ハレはゆっくり吉五郎の布団の枕元に行って正座した。

 吉五郎は目を開け、ハレを見つめた。

 「お前に単衣、いつも買ってやるって言ってて買ってやらなかったな。今年は買ってやるからな」

 これだけ言うとまた瞼を閉じてしまった。

 ハレはあわてて立ち上がると、はなのところに走っていった。

 「カッカ」

 外で仕事をしていたはなに声をかけた。

 「トッチャが」

 「何」

 ハレはさっきのことを話した。

 「こんな優しい言葉、初めてでびっくりしたよ」

 「いや、今朝はおかしいのよな」

 はなも言う。

 「いつもよりおとなしいし、怒るんじゃなくて、言うこともあれこれ注意しろって」

 2人で顔を見合わせたが、それ以上考えることもない。それぞれ次の仕事に取り掛かった。

 潔はいつも通り、学校に行った。

 田植えなど、春の忙しい農作業が終わるとみんな学校に戻ってくる。そうするとクラブ活動も本格的になる。野球部は郡大会が迫っており、この日の放課後も練習だった。

 「おい真木」

 午後3時ごろ、職員玄関から出て来た先生が校庭の脇で潔を呼んだ。

 潔は守っていたセンターから走ってきた。

 「親父さんが危ないということだ。すぐ帰れ」

 着替えもそこそこに長倉に向かう。しかし潔は走りはしなかった。「ああ来たか」といった感じだった。

 潔が長倉に着いた時、吉五郎はすでに亡くなっていた。

 遺体はいつもの床に横になり、顔には白い布がかけられている。側にはなが座っている。妹たちは意味がわからないのだろう。いつものように遊んでいた。

 聞くと亡くなったのは午後3時半ごろ。校庭で危篤の報を聞き帰り道を歩いている時、吉五郎は事切れたのだった。

 異変に気付いたのははなだった。午後になってからだ。声をかけても揺すってもほとんど反応しない。はなはハレを呼び、隣のタマにも声をかけた。戸田中にはタマが連絡したようだった。しかし医者はもう呼ばなかった。

 しばらく軽く息をするだけの時が続いたが、吉五郎は最後に一つ、小さく息を吐いた。そして動かなくなったという。目は閉じたままだった。享年50。静かな最期だった。

 潔はそっと顔にかかった布を取った。

 吉五郎は眠るように目を閉じ、少し口を開けていた。

 しばらく眺めた後、手を合わせた。

 涙は出なかった。

 引き揚げて来た年の秋に喀血し、長倉に来て床に臥せるようになってから、それほど遠くない時期に来るだろうことは頭の片隅にいつもあった。今日、中学から歩いて帰るときに、すでに覚悟ができていたということもあるだろう。

 しかし正直に言うと、父親が死んだということがまだ潔にはよく分からないのだった。

 潔は遺体の向こう側に座っているはなにちらりと目をやった。

 大柄な身体が、きゅっと一回り小さくなって座っている。顔は遺体の方を向いているが見えている感じはしない。口を真一文字に結び、膝の上の手は両方とも握られていた。

 潔は正面から見る事ができず、慌てて布を吉五郎の顔にかけた。

 連絡を受けて、良雄と克義が駆けつけてきた。晴間沢からも金松たちがやってきた。

 近所の人がお悔やみ方々、花を持ってきてくれた。

 しかし、そこまでだった。通夜も葬儀も行える状態ではない。お坊さんも呼ばなかった。

 吉五郎は生前、自分が死んだら両親の眠る山中家の墓に埋めてくれるよう、周りに話していた。

 その言葉通り、数日後、吉五郎を座った形で入れた棺桶は人夫4人でかつがれ、数キロ離れた泥の木という集落にある墓地に土葬された。はなは気が抜けたようになり、とても歩ける状態ではない。埋葬には良雄、克義、潔の3人が立ち会った。

 吉五郎が亡くなる直前、小屋の天井の梁には、大きなネズミがびっしりと並び、じっと下を見つめていた。追い払っても追い払ってもすぐ戻ってくる。子どもたちが小屋にネコを入れてみたが全く効果はなかった。

 埋葬が終わり、みんなが小屋に引き上げて来ると、それが1匹残らず、きれいさっぱり消えていた。

▼第5章生と死の3「盛岡へ」に続く

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