2 吉五郎

 1950年(昭和25年)が明けた。  正月早々、伸義は北海道に出稼ぎに行った。  国後・礼文磯で近所に住んでいた人が、釧路で船を持って漁師をしていた。そこから働かないかと声がかかったのだった。一旦北海道に渡ると年末まで...

5 新憲法

 1949年(昭和24年)春、一家は晴間沢の金松方の作業小屋から、潔が一時世話になった長倉の文治郎宅に引っ越すことになった。  当時の東北では、春になると多くの農家で養蚕が始まる。  養蚕は場所をとる。このためどの養蚕農...

4 吐血

 「おい、吉五郎が血さ吐いで倒れたんだとよ」  1948年(昭和23年)11月末のある晩、潔は文治郎から吉五郎が吐血したと知らされた。  野外での作業を手伝っている時、突然血を吐いてそのまま倒れたのだという。一緒に作業を...

3 みんなで働く

 1948年(昭和23年)9月26日。  岩手県戸田村に引き揚げてきた翌朝、目を覚ました澄子たちはびっくりした。  赤、黄、白、ピンク、藤色、紫…  外に出てみると、家の周りや隣の畑が、色とりどりの満開の花で溢れているの...

2 根室か戸田か

 潔は後で知ったが、国後から引き揚げ直後、つまり1948年(昭和23年)9月の吉五郎一家には大問題が持ち上がっていた。  函館に着いたはいいが、さて、ここからどちらに向かうのか。北海道・根室か、岩手県・戸田村(現在の九戸...