1949年(昭和24年)春、一家は晴間沢の金松方の作業小屋から、潔が一時世話になった長倉の文治郎宅に引っ越すことになった。
当時の東北では、春になると多くの農家で養蚕が始まる。
養蚕は場所をとる。このためどの養蚕農家でも、春は家や小屋のあらゆる場所を蚕のために空けるのだった。米作りが主ではない戸田の農家にとって、養蚕は1年で最も重要な仕事であり収入源だった。
そういうことで、引き揚げ当初から金松は吉五郎に、春にはどこかに引っ越してもらうことになる、と話をしていた。
子どもたちは納得いかないが、どうにもならない。手を差し伸べてくれた文治郎宅に、吉五郎とはな、ハレたち女の子4人、そして潔の計7人が世話になった。
吉五郎は体調が優れず、引っ越しの時も長倉への上り坂を自分で歩いては行けなくなっていた。良雄たちがリヤカーを借りて吉五郎や家財道具を乗せて運んだ。
文治郎のところでは養蚕はしないがやはり農作業がある。作業小屋は秋まで使えない。
文治郎が家の中の14畳ほどの座敷を丸ごと使わせてくれたため、そこで新しい生活が始まった。
はなはこの部屋に七輪を置き、料理をつくった。
朝は稗飯、干し菜汁、大根の漬物。夕飯はひっつみやうどん。そばかっけやはっとうが出るときもあった。おやつはカブにそば粉をまぜたもの。肉類は卵の他はほとんど口に入らなかった。
良雄が葛巻から帰ってくる時、お土産に豚肉を買って来ることがあった。ほとんど白身の肉だったが、みんなおいしいおいしいと食べた。
ある日、魚売りの行商人が長倉に来た。はなが塩マスを買ったが、塩辛くてとても食べられなかった。戸田まで来る魚は、三陸海岸の久慈から行商人が数日かけて持って来るのだから塩漬けか干して硬くなったものしかなかった。そしてそれだってたくさん食べられるわけではなかった。
何が良かったのか、吉五郎は長倉に来てから少し元気になったようだった。
しかしそれは善し悪しで、身体は相変わらず床に入っているのに、あれこれと周りに指図するようになった。その指図は家族だけでなく、「家主」の文治郎一家の人々にも容赦ない。話をしていると「やかましい」。電気やランプをつけていると「勿体無い」。
「何であの人に注意されなければならないのか」
細かく言われたハナヨが、文治郎に訴えるようなこともあった。
食べて行くため、文治郎宅の農作業の手伝いをはなと潔がし、ハレは近くの農家の手伝いに通った。ハマ子は1年生になった澄子を連れて戸田小学校に通った。
幼い陽子と秀子は家にいるが、家で遊んでいるとすぐ、吉五郎に小言を言われる。
「とっちゃなんか死ねばいい。べー」
憎まれ口を叩いては、はなやタエに叱られるのもしばしばだった。
潔は、1年生は3学期だけしか通わなかったが、4月には無事中学2年に進級した。
上の3年にハナヨがおり、下の1年に武が入学してきた。
みんなで長倉に引っ越してからは食べ物の確保が厳しくなり、潔は弁当を持っていくことができなくなった。
多くは稗餅、クラスの裕福な2、3人が白米に卵焼きを持って来る中、潔は腹が減ると水を飲んだ。
それでも学校は楽しかった。
潔は2年生から野球部に入った。バットやグラブは学校にあるものを使わせてもらえた。練習用ユニフォームはまだなく、みんな銘々の格好にズックや藁草履を履いて練習した。
2年生になってすぐの社会の授業で、2年前に施行された新憲法の話を先生がした。
先生は施行直後に文部省が発行した「あたらしい憲法のはなし」を手に持ちながら語りかける。
民主主義、国際平和主義、主権在民主義、基本的人権、そして戦争放棄。
「日本はもう絶対戦争はやらないんだ。そのために軍隊も持たないんだ。世界に先駆けて正しいことを日本がやったんだ。新しい憲法でそのように決めたんだ」
初めて知ることばかりだった。潔はすごい憲法ができたと思った。
その日学校が終わってから、はなと2人で裏の山で柴を刈って束ねながら、潔は先生に教えられたその憲法のことを話した。
「戦争の前と後で、日本がこんなに変わったって全然知らなかったよ」
作業しながら聞いていたはなは手を止め、潔の目を真っ直ぐ見て聞いた。
「そうか。それはとてもいい憲法だなあ。だけど潔、それは誰が行うんだ。あの戦争を思い出してごらん。簡単に信じちゃいけないんじゃないかい」
新憲法を誰が実施するのか。
潔には答えられない。
どこかにいる偉い人たちが行うのだろうと漠然と考えていたが、かっかに「あの戦争」を持ち出されると、信じちゃいけないというのも確かにそうかもしれない。
「先生に聞いてくる」
潔は柴の束をいきなり放り出し、中学まで駆け出した。
2キロほどの長い坂を駆け下り、息を切らして戸田中にたどり着いたが、社会の先生はすでに校舎にはいなかった。近くに住んでいることを聞き、また走って行く。戸を開けて呼んだら先生が出て来た。
息を弾ませながら、ぶしつけに聞く。
「先生、新憲法は、誰が行うのですか」
「どうした、いきなり」
潔は、はなとのやりとりを先生に話した。
「それで、誰が新憲法を実施するのか、聞きに来たのか」
「はい」
「ば、馬鹿者」
潔は大声で怒鳴られた。訳が分からずポカンとしている。
「誰がって、それはお前たちだ。お前たちが実施するんだ」
なおも呆然としている潔に、先生は真っ赤な顔で続けた。
「いいか、自分の周りを見ろ。この新憲法のようになっているか」
「……」
「なってないだろう。みんなで決めたものじゃなく、旦那様が決めたものに、みんな黙って従っているのが今の世の中だ。そんな事で、新憲法が力を持つと思うのか」
潔は先生の言いたい事が何となく分かってきた。
「いいか、これからの世の中は若いお前たちがつくるんだ。だがお前たちはまず、封建制についてよく知らなければならん。そして、自分たちの周りから、それを変えるようにするんだ。自分たちの事、自分たちの村、自分たちの国のことを自分たちで決めるんだ。みんながそうして初めて、新憲法が力を持つ。新憲法を実施するのはお前たちだ、というのはそういうことだ」
そこで初めて、先生はにっこりと笑った。
「分かったか」
「はいっ」
「よし。じゃあ帰れ」
潔はペコリと一礼すると、長倉までの長い上り坂をまた駆け上がって行った。
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