第6章 1人じゃない 9 9人もいた Posted on 2018年8月17日 1968年(昭和43年)2月、盛岡に住む良雄のもとに一通の手紙が届いた。 釧路の坂本源蔵からだった。 「しゅっこ、大幸が岩大を受けに来るってよ」 手紙を開いた良雄が秀子に教えた。
第6章 1人じゃない 1 別離 Posted on 2018年5月1日 1951年(昭和26年)が明けた。 正月気分は全くない、寒々しい元旦だった。 子どもたち10人だけになった真木家だが、生きていかねばならない。
第5章 生と死 6 はな Posted on 2018年4月10日 1950年(昭和25年)12月18日。 夜、ハレはいつものように、はなのベッド脇の床に敷いた布団で眠っていた。 何か呼ばれたような気がして、目が覚めた。
第5章 生と死 5 朝のおつとめ Posted on 2018年4月1日 1950年(昭和25年)秋。大きな病院に入院しても、はなの病状が良くなることはなかった。 医者の説明では、はなは「心臓弁膜症」だった。心臓の機能が落ちることで血液の循環が悪くなり、息切れ、むくみ、腹水などが起きる。血...
第5章 生と死 3 盛岡へ Posted on 2018年3月9日 1950年(昭和25年)6月。吉五郎の死がよほど堪えたのだろう、はなは寝込んで起きられなくなった。 医者に往診してもらうと、身体がむくんでお腹に水が溜まっているようだという。村役場に相談し、すぐ戸田の診療所に入院する...