6 大幸が来た

 1956年(昭和31年)8月1日、北海道から小学1年生になったばかりの大幸が戸田にやってきた。

 養親の坂本源蔵が夏休みを利用して連れて来たのだ。大幸は物心ついてから初めての長い旅行で、2人はまず札幌で降り円山公園を訪れたりした後で、津軽海峡を越えはるばる岩手まで足を伸ばして来た。

 戸田では葛巻から良雄が、花巻から克義とハマ子が帰ってきて、9人全員が揃って大幸を迎えることになった。

 実は、大幸の記憶は兄弟でもそれほど多くはない。大幸は生後半年で長倉の小屋を出て盛岡の乳児院に入り、半年後、戸田に帰ることなくそのまま函館で源蔵夫妻に預けられた。盛岡で毎日乳児院に通っていたハレと、根室にいた時、釧路と行き来していた秀子、そして出稼ぎ時に何度か訪れた伸義を除けば、あとはほとんど印象に残っていないといってよかった。

 岩手で残っている大幸の写真は、引き渡す前日に盛岡で撮った1枚だけだ。

 しかし、大幸の成長していく姿は、みんなつぶさに分かっていた。

 それは、源蔵が頻繁にカメラで撮り、戸田に送ってくれていたからだった。戸田の家のアルバムには、北海道で撮られた大幸の写真が何枚も貼られていた。

 そこには白シャツ、半ズボンにネクタイを締めている澄ましている大幸や、源蔵や姉の康子と並び、子どもらしくうれしそうに声を上げている大幸がいた。

 可愛がってもらい、大幸も懐いているな、とみんな安心した。

 今回、戸田を訪れる前に源蔵から手紙が届いた。そこにはこう書いてあった。

 「大幸がお前たちの兄弟で、私たちの子どもではないということは、絶対に明かさないでほしい。それはもっと大人になってから、私たちから大幸に伝えるから」

 大幸は夕方、源蔵にくっついてやってきた。

 襟付きで細かい縞模様の入った半袖シャツに半ズボン。そしてサンダルを履いている。髪は短めで前髪は眉毛のはるか上でまっすぐ切り揃えられていた。

 最初は源蔵のそばを離れなかったが、慣れてくると1人で動き始めた。

 大幸は裸電球の灯りの下、店の中を歩き回った。お菓子、文房具、面子やビー玉…。手に取って見ては戻しして、何度見ても飽きないようだった。その後ろを、秀子や陽子がついて歩いた。

 「ひろちゃん、そんなに面白いかい」

 秀子が不思議そうに尋ねた。

 大幸が戸田に来て最も興味をそそられたのは、店の道路向かいの小屋で飼われていた豚だった。大幸はそれを翌朝見つけた。

 生きている豚を見たのも初めてだったが、土の上に横になった2メートルほどの母豚の腹に、10匹もの子豚がひしめいているのを見ると、柵のそばでしゃがんだきり動かなくなった。フンの臭いも気にならないような様子で、頬杖をつきながら30分でも1時間でも見ていた。

 そんな子どもらしい面を見せていた反面、大人たちといると、いつも居心地の悪そうな表情をしていた。

 無理もない。初めて会う人たちなのに、なぜか妙に親しげで、自分だけが妙に注目されているのが落ち着かないのだ。

 大幸が来ていると聞き、長倉からタエがやって来た。

 「大幸、大きくなったなあ」

 大幸を見て笑顔で頭をなでる。

 大幸は怪訝そうな顔で見上げていた。

 潔たちは潔たちで、大幸にどう接すればいいのか分からない。

 「写真撮ろう」

 カメラを持っている潔がみんなを誘い、裏の戸田小学校の校庭に連れ出した。

 克義と、潔と、陽子・秀子と。大幸を真ん中に置いて代わる代わる写真を撮った。

 大幸は手をもじもじさせ、時には眉間に小さく皺を寄せ、一度もカメラの方を見ず、自身も笑わなかった。

 それでも潔たちにとっては、大幸の後ろにしゃがみながら肩に手をかけたりできることが、とてもうれしいことだった。

 翌日、男たちは大幸を連れて遠足に出た。

 平内まで県道を歩き、そこから西の山に向かう道に入る。しばらく行くと引き揚げてきて最初に世話になった山中金松の家に着いた。

 みんな金松たちと親しげに話している。

 手持ち無沙汰の大幸は、家の周りのダリアの花の中を飛び回る、カラスアゲハを見つめている。大幸は、初めて見るびわの木から実をとってもらって食べた。

 その後一行は、さらに山道を上って行き、大幸が生まれた長倉の山中文治郎の家に着いた。

 家の横の作業小屋は当時のままあった。

 「今のあの店を建てて住むまでは、俺たちはここに住んでたんだよ」

 克義や潔が話したが、何も知らない大幸は興味なさそうに聞いていた。

 それからみんなは戸田に向かって山道を下りた。

 ハレが大幸をおぶって駆け下りた道だ。そしてはなの入院していた診療所の横を通り、県道に出て店に帰ってきた。

 戻ってきたところで、家で待っていた姉妹たちも入って、店の前でみんなで写真を撮った。

 源蔵が入ったり、マツが入ったり、伸義の子の幸男が入ったり、潔が何枚も写真を撮った。

 「すみません、シャッターを押してもらえますか」

 ひとしきり撮ったところで、潔が源蔵にカメラを渡した。

 「幸男、こっちにおいで」

 ユキ子が幸男を呼んで撮影場所から離す。

 事情を察したマツも離れた。

 店の前に、兄弟だけ10人が並んだ。

 大幸・秀子・陽子の3人を真ん中に、上の7人がそれを囲む。

 「大幸、気をつけ」

 カメラを持った源蔵が声をかけると、大幸はピシッと手と足を揃え、カメラの方を向いた。

 その瞬間、シャッターが降りた。

 10人兄弟が揃った、初めての写真だった。

 源蔵と大幸は4日ほど戸田にいて、釧路に帰って行った。

 大安吉日の10月6日、ハレは祝言を挙げた。

花嫁姿のハレ

 花嫁衣装は梅の花や鶴が描かれた振袖だ。兄嫁のマツが知り合いから借りてくれたもので、当時普通の黒引き振袖に比べ、とても華やかな花嫁になった。

 昼から戸田の家で真木家の親族や近所の人を呼んで宴会をしていると、午後2時ごろ、伊保内からマイクロバスが来た。足立家の迎えの者が3人と仲人が乗っている。みんなに見送られながら、ハレはバスに乗り込んだ。長い袖は後ろでハマ子が持っている。親代わりの良雄夫妻と長倉から駆けつけたタエも乗って、総勢9人でバスは動き始めた。

 5キロほど離れた伊保内の足立家に着くと、すぐ祝言の宴が始まった。

 宴は夜遅くまで続いた。終わって化粧を落とし、布団に入ったのはもう午前2時を回っていたが、ハレは一睡もできなかった。

 翌朝、ハレはマツと政次郎の姉の3人で、近所に挨拶をして回った。

 黒い上下のスーツに白いブラウス姿。ブラウスの襟は紐でリボンに結った。

 挨拶回りが終わると庄治郎と戸田に戻り、再び宴会だ。

 そして午後、そこから慌ただしく準備をした。この日のうちに、もう盛岡に行くことになっていた。

 家の前のバス停で、みんなに見送られてハレは政次郎とバスに乗った。みんな笑顔で手を振った。

 「姉、行かないで。行っちゃいやだ」

 陽子だけが泣きべそをかいていた。

 バスが北福岡駅に着いた時、ハレは伊保内行きのバスに澄子が乗っているのを見つけた。澄子は中学の委員会の仕事で福岡に来ていて帰るところだった。

 ハレは近くの店に走ってお菓子を買った。澄子の乗っているバスに戻るとバスはもうエンジンがかかっている。

 窓の下から手を振る。澄子が気付いた。

 「どこの先生かと思ったよ。あんまりキリッとしてて」

 窓を開けて笑いながら言う澄子に、ハレはお菓子を渡した。

 「じゃあね。みんな元気で暮らすんだよ。ユキ子さんを困らせないようにね」

 「分かってる。じゃあ姉も元気でね」

 駅前を発車し、坂を下っていくバスが見えなくなるまで見送った。

 ハレは盛岡暮らしをとても楽しみにしていた。政次郎の姉にミシン縫いを教えてもらえるのだ。

 ところが、ハレの盛岡生活はたった1カ月で終わってしまった。木炭検査員の政次郎が、盛岡の北東の海に近い方にある下閉伊郡安家村(現岩泉町)に転勤になったのだ。

 「奥さん、盛岡に嫁に来たんじゃないよね。足立さんに嫁に来たんだよね」

 がっかりしているハレに、政次郎の上司が声をかけるほどだった。

 嫁入り道具のミシンは盛岡ではほとんど使われることもなく、安家に運ばれた。

 もちろん、教えてくれる人もいない。

 ハレは国後でやったように、今度はミシンを見よう見まねで使い始めた。

 自分や妹の服を縫ったりしているうち、どんどん上達した。

 近所の人と世間話をしていて、着ている服が自分で縫ったものだと話すとみんなに驚かれた。

 そしてまた、少しずつ注文が来るようになった。

 古着のリフォームだけではない。ミシンで洋服を一から仕立てたり、着物の注文も来るようになった。

 「ごめんなさい、縫ったことがないのでできません」とは、ハレは一度も言わなかった。

 初めて縫うものでも笑顔で平然と受け、それから同じようなものを見て研究して縫った。

 自分に縫えないものはない、と思えるようになった。

 ▼第6章1人じゃない7「合同結婚式」に続く

 ▼連載第1回 プロローグ「さらば茶々山」はこちら

▼岩手編第1回 第4章岩手1「真岡収容所」はこちら