第2章 敗戦 9 涙のぼたもち Posted on 2017年9月10日 礼文磯では、1945年(昭和20年)8月15日の終戦を、ほとんどの家がそこで迎えたが、占領前に北海道に脱出した家もあった。 例えば2軒隣の矢野家だ。 矢野家では北海道側の泊村に親戚がいたため、礼文磯の家を捨ててみん...
第2章 敗戦 8 上陸 Posted on 2017年8月31日 東京の空には灰色の雲が垂れ込めていた。風はなく、海は静かだった。 1945年9月2日、朝9時。東京湾の米艦ミズーリ上で、降伏文書の調印式が行われた。 降伏文書に外相ら日本側が調印したのは9時4分。連合国側はマッカー...
第2章 敗戦 7 センソウ、マケ Posted on 2017年8月14日 1945年(昭和20年)8月15日。 国後も晴れていた。暑くはなく爽やかな天気だった。 お昼になる直前、潔は1人、夏休みの学校に向かった。 どこからか「正午から重大な放送があるから、学校に集まるように」との話を聞...
第2章 敗戦 6 根室空襲 Posted on 2017年8月7日 1945年(昭和20年)春、礼文磯では一つの噂話が広まっていた。 それは、4月のある日のことだったという。 誰かが、礼文磯の東の森商店に行った。店に入ると、白ひげに白髪の、近所では見たことのない老人が何か買ってい...
第2章 敗戦 5 先生の出征 Posted on 2017年8月2日 1945年(昭和20年)が明け、1月末に礼文磯国民学校の先生が一人減った。 19歳の新田三郎先生が、出征したのだ。 新田先生は、幼いころに一家で礼文磯に越してきて、本人も礼文磯国民学校の卒業生だった。根室の中学に進...
第2章 敗戦 4 三角点 Posted on 2017年7月31日 1944年(昭和19年)秋。 ある日、礼文磯国民学校の全員で、隣の乳呑路国民学校に行くことになった。 北海道から陸軍の偉い人が視察に来るというのだった。 先生の言葉では、その人はサイツカンと言うのだそうだが、どん...
第2章 敗戦 3 鼻血 Posted on 2017年7月23日 1944年(昭和19年)7月下旬から昆布漁が始まると、午前中は潔だけが小屋の居間に置かれ、布団に丹前を着てストーブの傍に横になっていた。熱がやっと下がり、お腹も落ち着いてきたのは8月に入ってからだった。 潔は、昼間の...
第2章 敗戦 2 命 Posted on 2017年7月17日 「カッカ、腹痛い」 1944年(昭和19年)5月に入ってすぐの日の朝、飯を食べた潔ははなに訴えた。 お腹がグーグー鳴り、下の方がつねられたように痛い。 「便所行ってみろ」 便所でしゃがむと下痢が出た。 潔が教...
第2章 敗戦 1 進路 Posted on 2017年7月13日 まつ赤に炭がおこつてる 総力戦の只中だ 木の塊も火になつて お國の大事を守るのだ 櫻も楢もおこつてる まつ赤になつておこつてる 1943年(昭和18年)から44年にかけての冬、礼文磯国民学校ではこの歌をみん...