4 崖のサブロー

 1950年(昭和25年)7月、はなとハレが盛岡に行ってしまったため、戸田村の長倉には19歳の克義と中学3年の潔、小学4年生のハマ子、2年生の澄子、6歳の陽子、4歳の秀子の6人が残された。

 当然克義と潔が妹たちの世話をすることになるが、生活費も必要だ。克義は少しでも金を稼ぐため、いろいろな仕事をした。

 そのうちの一つが、夏のアイスキャンデー売りだった。

 酪農家から朝の牛乳を集めて回る森永の集乳車が、朝6時半ごろに戸田に着く。その集乳車にアイスキャンデーも乗せて来ており、克義は300本ぐらい入った箱を受け取る。そしてそれをリヤカーにつけて1本5円で売り歩くのだ。戸田から南に妻の神まで行って戻る。カランカランという鐘の音を鳴らして。

 克義のキャンデー売りは人気だった。

 「キャンデー屋さーん」

 遠くの畑にいても鐘の音がすれば走って来て買ってくれた。

 売れない時には足を伸ばして平内まで行った。

 平内には国後から引き揚げてきたという真木家の事情を知る人が多くいた。

 「売れ残ったら買ってやるから来い」

 そう言ってくれる人もいて、克義は困った時には持って行った。保冷しているわけではないため、朝はきちんとした形のアイスキャンデーも、平内に行くころには溶けて半分ぐらいになっている。それでも1本5円で買ってくれた。

 克義が朝6時前には長倉を出るため、妹たちの朝の世話は潔がした。

 ご飯を炊いて味噌汁を作り、ハマ子と澄子を戸田小学校に送り出す。それから潔は自分の準備をして戸田中に向かった。陽子と秀子はそのまま家に置いていった。

 「陽子ちゃんと秀子ちゃんが泣いて帰って来たっけよ」

 子どもたちだけの生活になってすぐ、潔が中学校から帰ってくると、隣のタマが教えてくれた。

 近所には陽子や秀子と年の近い女の子が何人かいた。陽子たちが珍しくて一緒に遊びたいが、恥ずかしくて言えない。2人が家の前で遊んでいるのを見つけると、その子たちは石を投げてくるようになった。

 陽子はそんなことをされるとすぐ小屋の中に逃げ、こっそりと様子を見るのだが、勝ち気の秀子は逆に石を持って向かっていった。そんなこんなで泣いて帰ってくるようなことになったのだった。

 さらに、2人で寂しい陽子と秀子は、ハマ子たちや潔が帰ってくる時間になると、毎日、小屋から少し坂を下りたところの大きな松の木のところに2人で立って姿が見えるのを待つようになった。

 雨が降っていても2人で濡れながら待っている。

 「ほら、そんなことしてると風邪をひくよ」

 タエに叱られ、家に連れて行かれて温かい甘い食べ物をもらうこともあった。

 潔はそこで、ハマ子と澄子が小学校から帰ってくるまでは小屋にいることにした。中学に登校するのは午後の、それも6時間目あたりになるのもしばしばだった。

 先生も事情を分かっていて、それでも出席扱いにしてくれた。潔は1時間だけ授業を受けて、放課後の野球の練習をして帰ってきた。

 8月、潔は戸田中の修学旅行で盛岡に行くことになった。

 夏休みを利用しての2泊3日。岩手県庁や裁判所、銀行などを見て回るというものだった。

 2年生と3年生合同で行われたが、家が貧しくて参加できない生徒もいた。潔も本当なら旅行などできる状況ではない。

 しかし、兄たちは潔を行かせることにした。もちろん、はなに会わせるためだ。妹たちは、潔がはなに会えることよりもハレに会えるのを羨ましがっていた。

 潔は2年生の武と一緒に参加した。

岩手公園での記念写真。左端後ろから3人目の野球帽立ち姿が潔

 1日目は岩手県庁や岩手銀行などをみんなで見学したが、2日目の午後、盛岡城趾を中心とした岩手公園で自由時間があった。再び集合するのは宿泊先の中学。橋の上で記念写真を撮った後解散になり、潔は勇と近くにあるはずの盛岡赤十字病院に向かった。

 病院はすぐに見つかった。

 裏の門から入り病室を教えてもらう。ドアを開けて入るとはなとハレがいた。

 潔を見ると、はなはハレに助けられて、横になっていた身体をやっと起こした。

 「よく来たな。妹たちはどうしている。畑はどうなっている」

 矢継ぎ早に問うはなに潔は答える。

 はなは長倉の様子を聞くばかりで、自分の病については一言も言わない。潔も直接聞くことができないが、その様子から回復に向かっているとは思えない状況であることはよく分かった。

 30分ほどいて病室を出た時、ハレが追って来た。

 手には妹4人分の毛糸の靴下を持っていた。

 「カッカはとても厳しいよ。いつ帰れるかも分からない」

 ハレは潔に正直に言った。

 潔は黙ってうなずいた。このことは妹たちや近所の人には絶対言うまいと思った。

 「カッカ、元気そうだったよ。冬前には退院できるかもって」

 長倉に帰ると、潔は笑顔でみんなに話した。妹たちはそれぞれの足にぴったりあった靴下をもらって大喜びしていた。

戸田中学校

 8月下旬、戸田中で相撲大会が開かれた。

 潔たち校外委員が中心になって企画したものだ。学校の予算などないに等しい中、生徒たちは自分たちでお金を稼いで行事や活動に充てていた。その役目を担ったのが校外委員だった。

 潔たちが考えた増収策は、相撲大会を開くことだった。

 すでに前年、戸田小校区の中学生相撲大会を開き、見物客からの花代で結構なお金を集めた実績があった。今年はさらに戸田中校区の相撲大会も開き、お金を集めようというのだ。

 開催は8月末。場所は戸田中。今度は地区対抗にしようというのが潔たちの目論見だ。調整の末、中学2、3年生による3地区対抗戦ということでまとまった。

 戦前戦中と相撲で鳴らした近所の大人二人を検査役に頼んだ。一人は晴間沢の金松の息子・久太郎だ。行司も近所の大人に頼んだ。

 校庭の隅に赤土を盛り、太い縄をなって土俵を作った。木を切った時に出る鋸屑をたくさんもらってきて周囲に撒いた。

 準備万端整い、当日を迎えた。

 午後8時、土俵の周囲に300人ほどの観客が座っている。

 ライトが照らす中、1回戦が始まった。

 潔は自分も土俵に立ちながらも、主催者として辺りに気を配っていた。

 すでにかなりの花代が集まっている。あとは大過なく終わらせることができれば、興行としては大成功だった。

 1回戦、5人ずつの対抗戦が終盤を迎えたころ、校庭に通じる坂道の方から大声が聞こえてきた。

 観客の一部がザワザワした。

 「崖のサブローだ」

 誰かが小声で言った。

 土俵の向こうの方に大きな男が現れた。

 短い髪に無精髭。上半身裸に下は作業ズボンと藁草履。腰に荒縄を2重に巻き、左側にナタ、右側に刃の長い鎌を挟んでいる。

 酒に酔っているのか、顔は赤い。

 「崖のサブロー」は隣の伊保内村に住む、この地域では一番と言っていい荒くれ者だった。

 30歳を超えたぐらい。定職には就かず、どこかに出稼ぎ行って、力仕事で稼いでは戻ってきて、あとは酒を飲み、暴れまわっていた。力が強く、声も大きい。見た目も怖いため、その力をあてにする者もいた。戸田にもやくざ者が何人かいたが、崖のサブローが来ると、後ろについて歩いていた。

 この時も1人、戸田の若い者が一緒についていた。2人は、土俵から離れたところでしばらく眺めていた。

 一部の大人にはよく知られた男たちだが、潔はそんなやくざ者がいるらしいことぐらいしか知らない。実際に見たのも初めてだった。

 1回戦は、潔も出た戸田地区が宇堂口地区を圧倒して終わった。

 2回戦まで少しの休憩に入ったところで、向こうから崖のサブローがやってきた。

 「山中久太郎はいたか」

 大声で検査役を呼んでいる。

 潔が土俵際を見ると、さっきまでいた検査役の2人がどこかにいなくなっている。行司までいない。

 「いないそうだ」

 もう1人の男が言うと、崖のサブローは座っている観客の間を縫って土俵に向かった。

 「どこに逃げた、出てこい」

 土俵の真ん中で仁王立ちになり、右の腰に差した鎌を取り出して振り回し始めた。もう1人の男がなだめようとしているが抑えきれない。

 観客が悲鳴を上げて土俵から離れていく。

 大人は誰も出て行かない。

 潔は周りを見た。校長住宅は学校の裏にある。校長も近くにいるはずだが姿が見えない。

 回し姿のまま、とっさに土俵に上がった。

 崖のサブローを下から睨みつける。

 足が震えるのが自分でも分かる。

 潔は150センチを超えたぐらいの身長だ。崖のサブローとは20センチほどの違いがある。

 「何だ…お、お前は」

 崖のサブローが潔を見下ろして言った。

 「何だって、あんたこそ何だ。俺は主催者だ」

 腹に力を入れて話すと少し落ち着いてきた。

 「お前、どこの者だ」

 「戸田の真木潔だ」

 そう言ってから潔は続けた。

 「この相撲大会は戸田中の生徒が開いたものだ。あんた、何だってわざわざ伊保内から来て、俺たちのやってるのを邪魔するんだ」

 「邪魔をしに来たんじゃない。俺は山中久太郎たちに文句を言いに来たんだ」

 「文句があるといったって、この場に来て鎌を振り回すことはないだろう」

 そういってしばらくにらみ合った。

 「わかったよ」

 崖のサブローは、持っていた鎌を腰の縄に差した。

 「お前とは後で、ちゃんと話したい」

 「ああ、いつでもいいよ」

 2人にもう1人の男が割って入る。

 「もうそれ以上はいいだろう」

 崖のサブローの腕を引っ張ると、サブローは土俵から下りた。

 2人は少し離れた中学の玄関の階段に腰掛けた。

 潔は土俵を潔めるために使った酒の残りが入った一升瓶を持って行った。

 「これ、残り物だけど、良かったら飲んでいいよ」

 崖のサブローは照れたような顔をしたが、潔から一升瓶を受け取った。そしてもう1人の男と飲み始めた。

 観客に戻ってもらい2回戦が始まったが、行司も検査役もいないのでは力がはいらない。さっきの緊張がほどけ、みんな気が抜けたようになってしまっているのと、残った観客はまだ崖のサブローの方にどうしても視線が行ってしまう。

 2回戦も戸田が圧倒的に勝ったため、3回戦以降は取りやめて戸田の優勝ということにして相撲大会はお開きにした。

 後始末をし、校庭を照らすライトを消す時になっても、2人はまだ酒を飲んでいた。

 「もう電気消すよ。帰んなよ」

 潔が言うと、崖のサブローは黙って腰を上げ、フラフラと坂道を下っていった。後ろからもう1人の男が何か話しかけていたが相手にしないようだった。

 潔はみんながいなくなったのを確認して電気を消し、長倉への坂道を上っていった。

 翌日、「学校に来て昨日の報告をせよ」との連絡が校長から来て、潔は学校に行った。

 「いや、相撲大会をして戸田が優勝しました。花代も予算以上にもらいました」

 潔がとぼけて言う。

 「そのことじゃない、他にあっただろう」

 「校長先生、見てたんじゃないんですか」

 「こら、大人をからかうな。きちんと報告しろ」

 「1回戦が終わったころで崖のサブローが乱入して来て、土俵で鎌を振り回すようなことがありましたが、何とかその場を収めて、大会を続けました。けが人もなく無事に終えました」

 「そうか」

 校長はニヤリと笑いながら聞いた。

 「お前、崖のサブローに何か言ったというじゃないか。何と言ったんだ」

 「ああ、中学の生徒の行事の邪魔をするな、と言っただけです。校長先生、遠くから見ていて聞こえなかったんですね」

 「俺は断じて見ていないからな。でもお前、あの崖のサブローによくそんなことが言えたなあ」

 「俺たちがやることを台無しにするのは、誰だろうが許せない。頭にきて思わず言っちゃったんです」

 「そうか」

 「あっ、崖のサブロー、そういえば、お前とは後でゆっくり喋りたい、と言ってたな」

 「そりゃ、また来るぞ」

 「その時はちゃんと学校にいて下さいね」

 潔と校長は笑って別れた。

▼第5章生と死の5「朝のおつとめ」に続く

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