1949年(昭和24年)も夏になったころ、ハレは、住み込みの仕事先から久しぶりに帰って来た兄たちが何やらヒソヒソ話しているのを聞いた。
「本当か、嘘じゃないか」
「いや、本当だ」
「トッチャはあんな状態だ。10人目だなんて」
カッカが妊娠している、とその時ハレは初めて知った。
このころ、はなと最も話をしていたのは潔だった。朝夕の農作業の時、潔はいろいろなことをはなに話した。はなも意識的に潔と話そうとしたようでもある。
3人の長兄はすでに親元を離れて働いている。潔は中学2年生。もっとも純粋で、もっとも危うい時期だった。
ある日の夕方、はなと潔は長倉への道を上がっていた。
引き揚げ世帯や生活保護家庭には、役場から食料などの配給があり、はなも定期的に戸田まで取りに下りて行った。しかし体がきつくなると、よく潔を放課後、中学のある妻の神から戸田に回らせ、配給の荷物を背負わせて一緒に長倉に帰った。
この日は配給の米や豆を店で受け取り、さらに近くの診療所で吉五郎に出ていた水薬と粉薬をもらっての帰り道だった。
重い荷物は潔が背負っている。はなが背負っているリュックには軽いものしか入れていないが、それでもハアハア息切れがしていた。
長倉に帰る時、2人は途中から必ず山の中の道に入る。そして決まった場所で少し休むのが常だった。そこからは山の上の方にある小屋が見える。呼吸を整えてから、最後の上り坂を上がるのだった。
潔は普段は口数が少ないが、その場所では何でもはなに話すことができた。
この日、潔は一枚のテストの答案用紙を取り出した。
国語のテストで、上の方に赤い字で大きく100と書いてあった。
数日前に終わった1学期末の試験結果だ。
テストの前夜、潔は電気の灯りの下で教科書を広げた。しかし、隣の座敷から吉五郎のしわがれた声がする。
「電気がもったいない。止めろ」
潔は黙って教科書を閉じた。
朝、外が明るくなり始めると潔は家を出て、裏山を上った。草むらに腰を下ろし、懐から国語の教科書を出した。朝の作業をサボって試験勉強を始めた。
試験範囲の文章を、声を上げて読む。朝のひやりとした空気に自分の声が吸い込まれていく。5回も読むと内容が分かってきたような気がする。
はなは、潔が朝の仕事をサボったことを知っていたが、何も言わなかった。
本番の試験は上出来だった。解答用紙を全部埋めることができて、気持ちよかった。
数日後、潔は級友たちが話しているのを耳にした。
「国語のテスト、真木だけが100点だったらしい」
潔は取り合わなかった。本当かどうか分からないし、第一自分でも信じられない。
すると国語の授業で先生が話した。
「今回の試験、真木だけが100点だった」
そして、クラスの数人を見ながらこう続けた。
「お前たち、もっとやらなきゃダメだぞ」
お前たち、というのは高校進学を目指している者たちのことだった。そして潔が高校になど進学できる状況にないのは、みんなよく知っていることだった。
そんなことがあっての満点の答案用紙だ。潔は真っ先にはなに見せたかった。
はなはうれしそうな顔をしたが、こう言う事も忘れなかった。
「潔、このことはあまり周りに言うんじゃないよ」
家にはハナヨや武もいる。そして自分たちは好意で間借りさせてもらっている身だ。
夜になり、みんなでテーブルを囲んでも、潔は何も言わなかった。
「潔が、国語で100点を取ったんだって。クラスで1人だけだったって」
学校で聞いてきたハナヨが、みんなに教えた。潔はうなずいたぐらいで、黙って聞き流した。
秋、はなのお腹は大きくなってきた。
その大きいお腹を揺らしながら、はなはしょっちゅう栗拾いに行った。売って少しでも生活の足しにするためだ。陽子や秀子、学校から帰ってきた澄子も連れて行くが、荒い息をしながら、それでも子どもの何倍もの栗を拾うのだった。
配給のものも、はなが山を下りてもらって来るのはきつくなり、もっぱら潔が放課後、戸田に回って受け取り、長倉に帰るようになった。
そしてそれが、お腹が大きいからだけではなく、体調がよくないのではないか、と近くで見ているハレや潔は思い始めていた。しかし決して口には出さなかった。
考えるだけでも、それは恐ろしいことだった。
11月、秋の農作業が終わると、一家は文治郎の家から隣の作業小屋に移った。
小屋を真ん中で仕切って自分たちの生活の場にした。晴間沢の小屋に比べると半分以下だったが、半年以上にわたり文治郎の家族に迷惑をかけていたことを考えると、気兼ねせずに暮らせるのは、やはりありがたかった。
何より、はなの腹はもう相当大きくなってきていた。ハレははなから年内には出産するだろうと聞かされていた。
吉五郎は一頃は自宅前を丹前姿でブラブラするなど、少し元気になったころもあったが、このころから体調ははっきりと悪くなってきていた。
元気を出させようと、はなは売りに来たりんごを買って吉五郎に食べさせた。だがもう吉五郎はうまく飲みこめなくなっており、しばらくするともう起きることがなくなり、床に臥せったままになった。
それでも寝床からものをよく見聞きしていて、あれこれ細かく怒るのは変わらなかった。
朝。ストーブに火をつけるのはハレの役目だ。マッチを擦るが1回で火がつかず何回もこすると、吉五郎は不快そうに咳払いをして、必ずブツブツ言うのだった。
12月25日、クリスマスの日にはなは男の子を出産した。はなとしては12回目、生きているきょうだいとしては10番目。男の兄弟としては潔と14歳離れた5番目だ。難産続きのはなだったが、今回が一番軽かった。色の黒い、元気な子で、ここでは産婆ではなくタエの介添えで出産した。
真木家は両親と子ども10人の12人家族になった。
翌日出生届を出すため、20歳になった伸義が雪のちらつく中、山を下りて行った。
午後、帰って来た伸義は、外套を脱ぎ雪を払い落とし、床に座った。改まってみんなを見回して言った。
「名前は『大幸(ひろゆき)』になった」
みんなは驚いた。
行く前、「大義(ひろよし)」とすることに決めていたからだ。
子どもたちの名前は、これまで吉五郎が決めていた。そして吉五郎は、自分の名にちなみ、男の子には必ずよみがなで「よし」が付く漢字を当てていた。良雄、伸義、克義、そして潔。
今回もその流れに従い、伸義らが「大義」を考え、吉五郎も認めていた。
伸義の説明はこうだ。
役場で「大義」で届けを出そうとしたら、戸籍係が難しい顔をした。
「たいぎ、はなあ」
あの戦争との関連で、「大義」という言葉に反応したようだった。
伸義は「大義」を「ひろよし」とだけ思っていて、「たいぎ」とは考えていなかったため気づかなかったが、言われてみると確かに微妙な気がする。
少し考えたところで、伸義は戸籍係に言った。
「じゃあ、『大幸』でどうだ。これならいいだろう」
「ああ、いいとも」
伸義がその時何を考えて「義」を捨て、「幸」を選んだのか、誰も聞かなかった。
でもこの結果、5人の男の兄弟のうち、5人目の大幸だけがただ1人「よし」のない名前を授かることになった。
その話を聞いたみんなは、しかし、「大幸」を本当にいい名前だと口々に言い、歓迎した。
そして願った。
この10人目の末っ子の未来が、本当に幸いに満ちたものであらんことを。
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