1945年(昭和20年)春、礼文磯では一つの噂話が広まっていた。
それは、4月のある日のことだったという。
誰かが、礼文磯の東の森商店に行った。店に入ると、白ひげに白髪の、近所では見たことのない老人が何か買っていた。その老人が店を出るとき、
「この大東亜戦争はな、8月に終わるから」
こう言い残して立ち去ったのだという。
大人たちには本土の大空襲の話も伝わってきていた。
「ということは、負けるってことか」
「そうかもな」
ひそひそ声でそんな話をしていたが、表向きは誰もが一笑に付していた。
また、5月に北海道に渡ってきた人は別の噂話を持ってきた。
今年の桜があまり咲かなかったことから、「6月に戦争が終わる」というのだった。
それでも、礼文磯では例年と同じ7月には昆布漁に入る準備が進んでいた。
そんな中、18歳を目前にした良雄が根室に行くことになった。
軍隊ではなく、「防空監視所」の要員になるということで、まずは根室で1週間の研修をし、その後は国後に戻り、乳呑路の監視所で働くことになった。
良雄は、国民学校高等科を卒業した1942年ごろから、オカップにある製材工場の帳場で少しずつ働き始めた。もともと頭も良く、3年も働くと経理の仕事もさせられるようになっていた。
吉五郎のもとには雪解け前から国民学校の校長が頻繁に訪れていた。
「良雄君は7月には18だよ、山中さん。もう、国のために働いてもらわなければならん年だ」
校長は盛んに説得した。しかし吉五郎は頑として認めず、断り続けてきた。
「先生、俺はこの通り腹が悪くて、いつ働けなくなるかもしれん。良雄がいてくれないと困るんです」
「いやいや山中さん、あんたのところにはまだ二人も働き手がいるじゃないか。このご時世に、お国のために働かせないということがあるものかね」
こんなやりとりを何度もしながら、吉五郎はできるだけ先延ばしにしてきた。
しかし、いつまでも断り続けることもできなくなった。
「山中さん、戦地に行ったり、軍需工場に行けというんじゃないんだ。乳呑路の防空監視所で働くんだ。これならいいだろう」
校長の説得に、渋々頷いた。
良雄は7月中旬から1週間、根室で研修することになり、7月13日、単身、乳呑路から船で根室に渡った。1週間程度の研修ということだったが、何日に帰るのかははっきり決まっていなかった。
7月15日。
ゴーン、ゴーン。
うなるような音が北の空から聞こえて来る。
見上げた潔の目に、数十機の飛行機の編隊が飛び込んできた。礼文磯でこんな編隊を見たのは、戦時中とはいえ初めてだった。
ピカピカ銀色に光る飛行機はきれいな隊列を組み、泊の上空あたりで一度左旋回し、それから北海道の方向に向かっていった。
あの飛行機がどこのもので、何をしに行ったのか。潔には分からなかった。大人たちも教えてくれなかった。
1週間ほど過ぎた日の夕方。
みんなはその日取って乾かした昆布を束ね、家の中の土間に積む仕事をしていた。
浜で子守をしていたハレが、向こうから歩いてくる人影を見つけた。
「あ、あんちゃだ」
浜にいた兄弟たちが笑顔で駆け寄った。が、近くで見るとみんな驚いた。
良雄は行く時と全く同じ服装で帰ってきた。しかし、その様子は全然違っていた。
服は上も下も土埃にまみれており、顔や手など、外に露出しているところも泥や煤で真っ黒だった。
「どうしたの」
口々に聞く弟妹の横で、はなが涙をぬぐっていた。
小屋に入って話を聞く。
14日に根室に着いたところ、まさにその日の早朝、北海道が初めて米軍機の空襲にさらされたのだった。根室も湾内の船が機銃で狙われ、多くが沈没や使用不能になった。
当然防空監視所は大騒ぎで、正式な手続きや説明などもないまま、良雄は現場に放り込まれた。
翌15日、朝5時過ぎに空襲警報が鳴り響いた。そして数分後、飛行機の編隊が姿を見せ、今度は根室の市街地に爆弾や焼夷弾を降らせ機銃で狙い撃ちした。
街の数カ所から火が立ち上り、瞬く間に一面火の海となった。市街地の7割を焼き払い、死者・行方不明者約400人を出す惨事となった。
良雄のいた監視所は、市街中心地から東に少し離れた明治牧場の近くにあった。空襲警報で叩き起こされ、近くの防空壕に逃げ込んだ。その時、敵の編隊が街を襲うのがちらりと見えた。
「空襲が終わってから、監視所の人が言ってたよ。迎撃した日本の戦闘機はなかったって。あるのは木の模型だけで、それも全部焼けたと」
良雄は結局、根室での1週間は全く研修にならなかった、と話した。
潔は良雄の話を聞きながら、前の年の秋に見た、三角点の大砲のことを思い出していた。大人たちの言う「神国」と、実際に起こっていることが違うような気がしてならなかった。
8月6日、広島。9日は長崎への「新型爆弾」。そして同じく9日のソ連からの宣戦布告。ラジオからの情報を伝え聞いた大人たちは、この先どうなるだろうと思いながらも、昆布漁を中心とした日々の生活を続けていた。
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