【岩手編】人物・地図・年表

【登場人物】(すべて仮名です)

■真木吉五郎一家

名前メモ生年・年齢差
吉五郎よしごろう=トッチャ。岩手県戸田村出身。旧姓山中。1950年6月死去、享年50。1900年
明33
はなカッカ。石川県末森村出身。旧姓高原。18歳から44歳までに5男7女を産み育てる。1950年12月死去、享年45。1905年
明38
良雄よしお=あんちゃ。はな21歳の第2子。葛巻町の材木商で働く。1927年
昭2
+3
マツ良雄の妻。葛巻町の同じ職場で知り合う。
伸義のぶよし=ノブあんちゃ。はな23歳の第3子。北海道に出稼ぎ後、村役場で働く1929年
昭4
+2
ユキ子伸義の妻。葛巻町から18歳で嫁入り。
克義かつよし=カツあんちゃ。はな25歳の第4子。花巻の新興製作所に就職。1931年
昭6
+2
ハレあね。はな27歳の第5子。裁縫・編み物が得意。唯一、両親の死に立ち会う。1933年
昭8
+2
足立政次郎ハレの夫。木炭検査員という県職員。実家は隣の伊保内。
きよし。はな29歳の第6子。戸田郵便局に就職。引き揚げ後、きょうだいで唯一、九戸村を動かず。1935年
昭10
+2
繁子潔の妻。元戸田村の宇堂口出身。
ハマ子はな34歳の第8子。中学から葛巻、花巻で県立高校定時制に通う。1940年
昭15
+2
澄子すみこ。はな35歳の第9子。
1941年
昭16
+1
陽子ようこ。はな38歳の第10子。泣き虫で甘えん坊。1944年
昭19
+3
秀子しゅうこ。はな40歳の第11子。両親死去後、根室の親戚に一時預けられる。盛岡で県立高校進学後、証券会社で働く1946年
昭21
+2
大幸ひろゆき。はな44歳の第12子。きょうだい唯一の岩手生まれ。1歳で釧路の親戚に預けられ、その後養子に。きょうだいで唯一、大学を卒業1949年
昭24
+3

■ほかの登場人物

・山中金松=吉五郎の長兄で本家の当主。戸田村晴間沢在住。長男・永太郎は相撲が得意。

・山中文治郎=吉五郎の二番目の兄。戸田村長倉在住。長女・ハナヨは潔の1歳年上。養子の跡取りは戦死でその妻・タエ、タエの子・武は潔の1歳下。

・高原鉄造=はなの実兄。根室在住。鉄道員。一時期、秀子を預かる。

・坂本源蔵=はなの異父弟。釧路近くの昆布森村在住で役場に勤める。大幸を預かり、後に養子に迎える。

・梅村末吉・イト=潔の結婚相手・繁子の両親。戸田村南部の宇堂口で商店を営む。

・崖のサブロー=地域第一の暴れ者。戸田村の隣の伊保内村に住む。

【関連地図】

岩手県九戸村=当時は南から戸田村、伊保内村、江刺家村の3村に分かれていた。

・晴間沢=吉五郎の生家・山中金松の家のある集落

・長倉=晴間沢の次に世話になった、山中文治郎の家がある

・戸田=きょうだいの家を建てた集落。戸田村の中心部(役場・診療所・郵便局・小学校・商店・鍛冶屋など)

・妻ノ神=当時、戸田中学校があった集落

・杉ノ沢=国後の本家の当主だった真木午之助の出身地

(地図は現在の九戸村の元戸田村の一部。国土地理院の地理院地図より)

【関連年表】

内容
1947昭22伊保内-福岡バス開通(県北バス)。4月、戸田中学校開校(戸田小学校に併設)。5月、日本国憲法施行。8月、「あたらしい憲法のはなし」発行
1948昭238強制引き揚げ。ソ連貨物船で国後を出発
9
樺太・真岡収容所に2週間。  函館を経由して岩手・戸田村の親戚宅へ
11吉五郎喀血。戸田中学校、妻ノ神地区の新校舎に移転
1949昭241潔、戸田中学校1年に編入
一家、晴間沢から長倉の親戚宅に引っ越し
12はな、第12子出産。大幸と命名
1950昭256吉五郎死去、享年50。はな、戸田診療所に入院。朝鮮戦争始まる
7はな、盛岡赤十字病院に転院。ハレが付き添い。大幸も乳児院に
8潔、修学旅行で盛岡へ。はなと面会。戸田中での相撲大会に崖のサブロー乱入
11ハレ、天理教の朝のおつとめへ
12はな死去、享年45。良雄、未成年のきょうだいの後見人に
1951昭261秀子、大幸を北海道の親戚に預ける
5潔、戸田郵便局に就職
8戸田にきょうだいの家完成、入居
12良雄、葛巻町の遠藤マツと結婚
1952昭273戸田青年団総会
4ラジオドラマ「君の名は」開始。対日平和条約・日米安保条約発効
1953昭283国会、バカヤロー解散
4ハマ子、葛巻へ。葛巻中学入学
12秀子、北海道の預け先から岩手に帰る。岩手放送(ラジオ)開局
1954昭291克義、花巻へ。
1955昭304ハマ子、花巻へ。花巻南高定時制入学。戸田・伊保内・江刺家3村合併、九戸村に
8大幸1年生、戸田を訪れる
10ハレ結婚、盛岡へ。1カ月で転勤
1958昭3311潔結婚。合同結婚式で
1959昭3410潔に長女誕生。
1960昭3510潔、戸田に新居構える
1968昭437戸田で大幸に兄弟であることを告げる
2003平158潔、55年ぶりに国後島礼文磯に立つ